【産経抄】9月17日
平安末期に成立したとみられる説話集『今昔物語集』に、キノコを使った毒殺未遂の話がある。吉野の金峯山(きんぷせん)に長く別当(寺のトップ)を務める老僧がいた。次席の僧が、その地位を奪うために用意したのが、毒キノコとして知られる「わたり」である。
▼僧は別当を招き、ヒラタケと偽ってわたりの料理を振る舞った。ところが、別当に苦しむ様子はみられない。「こんな見事なわたりの料理を食べたことがない」とうそぶく始末。別当はキノコの毒にあたらない人だった、というのが落ちになっている。
▼わたりとは、ツキヨタケを指す。現在でも、誤って食べる人が後を絶たない。今月9日、日光の男体山で採ったキノコを食べた栃木県内の男女4人が、吐き気や嘔吐(おうと)の症状を訴えた。「ヒラタケと思っていた」と話していることから、ツキヨタケによる食中毒の可能性が高い。確かに図鑑の写真を比べても、ほとんど見分けがつかない。
▼そのほか、ニセクロハツ、ドクカラカサタケといった別の毒キノコによる被害も報告されている。国内には、3千種以上のキノコがあり、まだ、名前のついていないキノコがその3~5倍存在するといわれている。
▼毒の成分が分かっているのもほんの一部にすぎない。キノコの世界は奥が深い。9月上旬まで猛暑が続いた平成22年は、キノコによる食中毒が多発した。今年の日本列島も酷暑にあえぎ、さらに度重なる台風によって、湿り気も十分だ。秋の行楽シーズンを迎えて、要注意である。
▼江戸後期の俳人、小林一茶は50歳を過ぎてから、故郷の信州に落ち着いた。秋にはキノコ狩りに夢中になった。〈化かされな茸(きのこ)も紅(べに)を付けて出た〉。一茶も毒キノコの美しさに化かされたことがあったのか。