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【LIVE 7/19 16:00〜】『日本から見たサピエンス全史 #48』(田中英道) [2)日本の歴史]

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徳川宗家の家督は継いでも将軍職を拒み続けた慶喜の真意 [2)日本の歴史]


徳川宗家の家督は継いでも将軍職を拒み続けた慶喜の真意

渋沢栄一と時代を生きた人々(14)「徳川慶喜④」
2021.7.19(月)町田 明広
西洋式軍装に身を包んだ幕府軍。

(町田 明広:歴史学者)

渋沢栄一と時代を生きた人々(11)「徳川慶喜①」
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/65801
渋沢栄一と時代を生きた人々(12)「徳川慶喜②」
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/65802
渋沢栄一と時代を生きた人々(13)「徳川慶喜③」
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/65834

慶喜に対する幕府の警戒と朝廷の信頼

 元治元年(1864)7月、禁門の変において、徳川慶喜の抜群の働きで長州藩は撃退され、その余勢を駆って第一次長州征伐が計画された。しかし、将軍家茂は江戸から進発せず、一方で幕府は、長州征伐の総督に慶喜が就くことを許さなかった。結局、長州征伐は11月まで実施されず、総督の徳川慶勝(元尾張藩主)は薩摩藩・西郷隆盛を頼り、実際には首謀者として率兵上京した家老の切腹などで総攻撃は中止し、さらに、三条実美ら五卿の太宰府移転を前提に、一戦も交えることなく、解兵してしまった。

 慶喜はその間も禁裏御守衛総督として在京のままであり、孝明天皇・朝彦親王・二条斉敬(関白)と強靱な連携体制を維持し、一会桑勢力の結合も進められ、幕府本体(江戸)から嫉視警戒される存在となっていた。そこに追い打ちをかけるように、大きな問題が起っていた。

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将軍となる器を見せつけた、慶喜の対長州藩への鬼気迫る活躍 [2)日本の歴史]


将軍となる器を見せつけた、慶喜の対長州藩への鬼気迫る活躍

渋沢栄一と時代を生きた人々(13)「徳川慶喜③」
2021.7.12(月)町田 明広
「禁門の変」の舞台となった京都御所の蛤御門。

(町田 明広:歴史学者)

渋沢栄一と時代を生きた人々(11)「徳川慶喜①」
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/65801
渋沢栄一と時代を生きた人々(12)「徳川慶喜②」
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/65802

慶喜の復権と文久の改革

 安政7年(1860、3月18日に万延に改元) 3月3日、桜田門外の変が勃発し、大老井伊直弼は水戸浪士などによって暗殺された。安政の大獄で失脚を余儀なくされていた勢力は、徐々に復権を果たすことになるが、徳川慶喜も例外ではなかった。万延元年9月4日に慎解除、文久2年(1862)4月25日に他人面会・文書往復の禁解除となり、5月7日に将軍家茂に謁見した。そして、7月6日に至り、慶喜は再び一橋家を継いで将軍後見職に補任されたのだ。

 慶喜はここに復権を果たすばかりでなく、幕政に参画することになったが、その背景には、島津斉彬の没後、藩主となった忠義の実父であり、薩摩藩の実権を掌握した国父と称された島津久光の率兵上京があった。久光は文久2年4月16日に千人の兵を率いて上京を果たし、勅使下向による幕政(人事)改革を朝廷権威によって実現するために、自らも兵を率いて江戸に乗り込んだ。

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タグ:徳川慶喜
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『土偶を読む、130年解かれなかった縄文神話の謎』著者に聞く [2)日本の歴史]


『土偶を読む――130年間解かれなかった縄文神話の謎』

 縄文時代の土偶といえば、両目が吊り上がり腰が巨大な「縄文のビーナス」にしろ、宇宙人のような両目の遮光器土偶にしろ、奇妙奇天烈な形が多く、何を意味しているのかよくわからない。

 教科書などでは妊娠女性説、地母神説、デフォルメした人体説などが紹介されているが、明治時代に土偶研究が始まって130年以上、いまだに「定説」のない古代史の謎なのだ。

 その領域に今回、『土偶を読む――130年間解かれなかった縄文神話の謎』(晶文社)人類学者の竹倉史人さんが画期的な「新説」を引っ下げて登場した。

「最初のページの第1行目が、“ついに土偶の正体を解明しました”ですね。それに続き“(土偶は)〈植物〉の姿をかたどっている”とすぐに結論も示しています。初手からかなりハイテンションでは?(笑)」(足立)

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【聖徳太子没後1400年 第2部①】その名は「厩戸」 キリスト降誕にも重なる謎のルーツ [2)日本の歴史]


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昭和初期以前の日本、少年の筆おろしは誰が担ったのか [2)日本の歴史]

昭和初期以前の日本、少年の筆おろしは誰が担ったのか

銭湯ではイチモツを人前に晒すなかれ
2021.5.28(金)市川 蛇蔵

連載:少子化ニッポンに必要な本物の「性」の知識

大事なところを手や手拭いで隠して入浴するのは日本の伝統的習慣。それをしないと周囲から失笑を買ってしまう

 神仏の世界で欲望の最高位の神、他化自在天(たけじざいてん)は他人の快楽を自分自身の快楽とし、男女の互いの欲念で淫事を満足することで、膝の上に子供を産むことから他化自在と称する。

 私たち男性は1日に幾度となく色情を抱いて女性を眺めるが、人間は男女の抱擁と合一によってしか、子供を産むことができない。

 その不完全性こそが、神仏ではなく人間の特性といえよう。

 男性は女性の裸を目にすれば、平静な気持ちを保つことは難しく、意思に関わりなく性的スイッチが入ると欲望が刺激される。それが人間の特性のようだ。

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上杉景虎が「御館の乱」で勝利しても北条の傀儡にならなかった? [2)日本の歴史]

上杉景虎が「御館の乱」で勝利しても北条の傀儡にならなかった?

「御館の乱」における上杉景虎の戦略(後編)
2021.5.28(金)乃至 政彦
鮫ヶ尾城の上杉景虎像

(乃至 政彦:歴史家)

「御館の乱」における上杉景虎の戦略(後編)
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/65399

御館の乱勃発する

 天正6年(1578)3月13日、上杉謙信が亡くなった。その約2ヶ月後、後継者となった初心者マークの上杉景勝に、最初の試練が訪れる。難易度はそれほど高くない。会津の蘆名止々斎が軽く侵攻を企てただけのことだ。だが、景勝は適切に即応しようとした三条城主・神余親綱を厳しく叱責してしまう。初っ端からのファンブルだった。

 怒りに震える親綱は、栃尾城主・本庄秀綱、そして御館城主・上杉憲政と一緒に、反乱を決行した。5月5日、「大場」の地にて、上杉景勝の拠点・春日山城の軍勢と、反乱軍の拠点である御館城の軍勢が激突する。これには辛うじて景勝が勝利した。だがその先の御館城は謙信時代から堅固に作られており、その義父だった憲政がいるので、さすがに景勝もこれ以上攻められずにいたようだ。

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【新連載】近現代史ブックレビュー「昭和陸軍と政治」 [2)日本の歴史]

 近現代史への関心は高く書物も多いが、首を傾げるものも少なくない。相当ひどいものが横行していると言っても過言ではない有様である。この連載はこうした状況を打破するために始められる、近現代史の正確な理解を目指す読者のためのコラムである。
昭和陸軍と政治
「統帥権」というジレンマ

髙杉洋平 吉川弘文館 1800円+税

 第1回として「昭和陸軍と政治」というテーマを扱った表題書を選んだ。需要が多いのにもかかわらず、蓄積のある執筆者は少ないというアンバランスのため、怪しげな書物がまかり通っているとくに是正が必要なジャンルだからである。それだけに本書の意義は大きい。

 本書の優れている点として、まず昭和陸軍を理解する上で重要な〝統制派と皇道派の正確な評価〟ということがある。1933年秋ごろに永田鉄山陸軍省軍務局長を中心に統制派が成立、荒木貞夫・真崎甚三郎らの将軍達と青年将校からなる皇道派との激しい抗争が続けられる。統制派の優位下、圧迫された皇道派の反撃として永田鉄山軍務局長斬殺事件がまず起き、そしてさらに皇道派青年将校が起死回生の企図として行ったのが二・二六事件であった。


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