徳川家康ほど「辛抱」「我慢」「忍従」を貫いた戦国大名はいない。〝ひたすら耐えた人〟。それが家康である。そうした性格は、6歳から19歳までの「人質暮らし」のなかで培われたが、家康も人の子、我慢にも限度があったはず。

築山御の墓。殺害される前の家康の行動は謎に包まれている(山口淳/アフロ)

 そう思えるのだが、家康が38歳だった1579(天正7)年に起きた「妻子殺害事件」にはそれが感じられないのである。

不思議としか言えない「嫁姑問題」

 同事件は、「嫁姑問題」に端を発し、嫡男の嫁が姑と夫を実家の父、織田信長に書面で告発したことで大事(おおごと)に発展し、信長から求められるままに家康が「妻と息子を死なせた事件」だが、謎また謎の様相を呈している。

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