日本の防衛省は30日、北朝鮮が同日午後11時38分ごろと46分ごろに弾道ミサイルとみられるものを発射したと発表した。北朝鮮は31日、この発射実験は韓国国内の軍事目標への核攻撃のシミュレーションだったと説明した。
北朝鮮の国営メディアは31日、同国が30日に2発の短距離戦術弾道ミサイルを発射したと伝えた。アメリカが朝鮮半島周辺で戦略爆撃機を展開させたことに対する警告だとしている。
米韓は31日までの日程で、11日間にわたる合同軍事演習を実施している。
日本の防衛省は30日、北朝鮮が同日午後11時38分ごろと46分ごろに弾道ミサイルとみられるものを発射したと発表した。北朝鮮は31日、この発射実験は韓国国内の軍事目標への核攻撃のシミュレーションだったと説明した。
北朝鮮の国営メディアは31日、同国が30日に2発の短距離戦術弾道ミサイルを発射したと伝えた。アメリカが朝鮮半島周辺で戦略爆撃機を展開させたことに対する警告だとしている。
米韓は31日までの日程で、11日間にわたる合同軍事演習を実施している。
2023年7月27日付の中央日報社説が、先般のロシアのショイグ国防相の訪朝に関連して、露朝間に危険な武器・技術取引が行われる可能性があると述べている。
朝鮮戦争休戦70周年に際し、中国とロシアは2020年の新型コロナウイルス流行後、初めて大規模な代表団を平壌に派遣した。北朝鮮は、7月27日を祖国解放戦争勝利記念日とし、その日には平壌で大規模な軍事パレードが行われた。
中国は、全国人民代表大会常務委員会副委員長の李鴻忠を団長とする共産党・政府の代表団を派遣した。7月25日、金正恩は、中国兵士の墓地を訪れ、米国の爆撃により死亡した毛沢東の息子である毛岸英の墓に献花した。これには、中朝の血盟関係を強調したい金正恩の意図があったのであろう。
北朝鮮は27日夜、首都・平壌(ピョンヤン)の金日成(キム・イルソン)広場で、朝鮮戦争の休戦協定締結70年を記念する軍事パレードを行った。金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党総書記が、ロシアのセルゲイ・ショイグ国防相や、中国の李鴻忠・共産党政治局員と並んで閲兵した。ウクライナ侵略を続けるロシアと、弾道ミサイル発射を繰り返す北朝鮮の「ならず者同盟」。北朝鮮が、ロシアに武器や兵士を〝極秘提供〟する懸念が浮上している。日米韓はどう対峙(たいじ)するのか。ジャーナリストの加賀孝英氏の最新リポート。
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「脅威は非常に現実的だ」「前触れもなく、数日のうちに戦争状態に入る可能性がある」「(正恩氏は)予測不可能な指導者だ」
北朝鮮メディアは28日、金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党総書記が27日に「核の兵器化事業」を指導したとの報道の中で、新たに公開した戦術核弾頭とみられる物体が短距離弾道ミサイルなど8種類の運搬用兵器に搭載できると示唆する写真を公表した。北朝鮮は短距離弾道ミサイルなどは配備済みだと表明しており、弾頭の装着で核攻撃が可能だと強調した形だ。
北朝鮮メディアは28日、金氏が最近の訓練で信頼性が検証された「国家核兵器総合管理システム」の状態を確認したと報じた。全土から各種のミサイルや水中ドローンで同時に攻撃できる統合運用システムを整えたと強調した形だ。 (共同)
ポンペオ前米国務長官が24日出版の回顧録で、2018年に当時のトランプ大統領の特使として極秘訪朝した際の内幕を明かしていることが分かった。金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党総書記が「ずっと私を殺そうとしてきたのを知っています」と会談冒頭に軽口をたたき、ポンペオ氏も「今もそうですよ」と冗談で応じていた。FOXニュースが報じた。
韓国軍当局者によると、米韓両軍は6日、前日に続き南北軍事境界線に近いソウル北方の江原道鉄原で多連装ロケット砲などの発射訓練を行った。これに対し北朝鮮の朝鮮人民軍総参謀部は同日夜、米韓に警告する目的で海上へ向け82発の砲撃を行ったと表明した。
韓国軍は、北朝鮮は東部の日本海沿岸から100発超を発射したと説明。韓国が海上の境界と主張する北方限界線(NLL)の北側に位置し、2018年の南北間軍事合意で砲撃が禁じられている海域に砲弾が落ちたため合意違反だと北朝鮮を非難した。北朝鮮も、米韓の演習は境界線付近での軍事行動を禁じた合意違反だと主張した。
北朝鮮は5日午後にも、日本海と黄海に向け計130発余りの砲撃を行い、米韓の訓練に対抗した警告目的だと表明。米韓が境界線付近での訓練で軍事圧力をかけ、反発した北朝鮮が威嚇の砲撃を行って緊張が高まる事態が繰り返されている。
韓国軍は、北朝鮮の5日の砲撃も軍事合意に違反する海域に砲弾が落ちたとしている。(共同)
(李 泰炅:北送在日同胞協会会長、脱北医師)
北朝鮮で暮らしていた35年前、私は北朝鮮人民軍4軍団・前線区分隊の砲兵だった。義弟(妹の夫)は北送事業で北朝鮮に送還された在日朝鮮人で構成された「24狙撃部隊」の軍人であった。
1970年8月30日、金日成(キム・イルソン)主席から日本潜伏に対して教示があった。「思想的に良い青年たちを選択し、夜でも、どこでも、潜伏して歩き回ることができる訓練をしなければいけません。(中略)これは、すべて秘密裡にしなければなりません」というものだ。
9月22日付の英Economist 誌が「金正恩が彼の核兵器への権限を委譲することを考えている。この政策は抑止力を強化するが、事故のリスクを高める」と論じている。
尹錫悦韓国現大統領は、繰り返し自国の「kill chain」計画(攻撃が差し迫ったと考えられたら、北朝鮮のミサイル施設とその指導部を先制打撃するシステム)について言及した。
金正恩は9月8日の演説で「核兵器が地上にある限り、かつ帝国主義が残る限り、決して核を手放さない」と述べた。彼は北朝鮮がいつ核を使うかを明らかにする法令を公布した。核兵器は指導部と核司令部が「危険に晒された」ときに、「自動的かつ即時に」発射されうることになった。
北朝鮮が発射した弾道ミサイルが日本列島上空を通過したのは平成29年9月以来で、5年ぶり7回目となる。直近では9月25日以降5回目となる異例の発射ペースだが、飛距離の長いミサイルで挑発行為をエスカレートさせた形だ。日本政府は今回のミサイルについて約4600キロ飛行したと分析しており、インド太平洋での米軍の重要拠点であるグアムを射程に収めることを誇示する狙いがありそうだ。
北朝鮮が発射した弾道ミサイルは1発で、東北地方上空を通過して太平洋側の排他的経済水域(EEZ)外へ落下したとみられる。
【ソウル=桜井紀雄】韓国軍合同参謀本部は4日、北朝鮮が日本上空を越える形で発射した弾道ミサイルについて、約4500キロ飛翔(ひしょう)し、最高高度は約970キロに達したと発表した。速度は音速の17倍に当たるマッハ17と探知したとしている。
政府は4日、北朝鮮から発射された弾道ミサイルの可能性があるものは日本列島上空を通過し、太平洋へ抜けたと発表した。政府は全国瞬時警報システム(Jアラート)の対象地域を変更し、北海道、青森県としている。北朝鮮のミサイルが日本上空を通過したのは平成29年9月以来。
北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党総書記は27日、核戦争の抑止力を動員する準備ができていると主張した。同国の核兵器が使える状態だと示唆したとみられる。
国営の朝鮮中央通信(KCNA)によると、金氏はこの日、朝鮮戦争「戦勝記念日」の行事で演説。北朝鮮はアメリカとの「いかなる軍事的衝突にも完全に準備ができている」と述べた。
北朝鮮の核兵器をめぐっては、7回目の核実験が準備されているとの懸念が生じている。アメリカは先月、北朝鮮がいつ核実験をしても不思議ではないと警告した。北朝鮮が最後に核実験をしたのは2017年。
(李 泰炅:北送在日同胞協会会長、脱北医師)
【関連記事】
◎北朝鮮の「点滴液は水と砂糖、点滴容器はビール瓶」は本当だった(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/65913)
◎脱北した在日朝鮮人医師が体験した脱出劇のリアル(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/65006)
◎ミャンマーで投獄された脱北者の私が自由を取り戻すまで(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/65372)
朝鮮中央通信は5月21日、金正恩(キム・ジョンウン)総書記が政治局会議を主宰し、新型コロナは「建国以来の大動乱」であり、防疫対策に総力を尽くせとの指示を出したと伝えた。
米国務省のポーター副報道官は6日の電話記者会見で「北朝鮮が(北東部)豊渓里(プンゲリ)の核実験場で、早ければ今月にも核実験の準備が整う可能性があると米国は分析しており、同盟国や友好国に情報を共有した」と述べた。
バイデン大統領が今月下旬に訪問する日本と韓国で、両国に対する防衛義務に揺るぎがないことを示すとした。
ポーター氏は、体制維持を目的にした核の使用も辞さない考えを示している北朝鮮の最近の声明と米国の分析が合致していると指摘し、今後も北朝鮮の核実験場の動向を注視する考えを示した。
米シンクタンクなどは最近の商業衛星写真から豊渓里の核実験場の坑道で掘削活動を確認。韓国の有力紙、東亜日報は6日、ソウルで21日に予定される米韓首脳会談の直前に、北朝鮮が核実験を行う可能性が高いと報じた。韓国政府は北朝鮮が重量400~500キロ、直径60センチ未満の小型核弾頭をすでに完成させたとみているという。
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[>]国会議員達は具体的に核恫喝されたら何とする?
(既に恫喝はされているが)
今だ実効策をなにも執らない政府、国会
之は眼前の危機ではないのか?
たった一度の敗戦で国防を忘れ国を護る知恵も気概もなくした戦後
脳天気列島にお花畑の花満開ゾ~ン多数の悲惨
?
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韓国当局は24日、北朝鮮が禁止されている大陸間弾道ミサイル(ICBM)を日本海に向けて試験発射したと発表した。北朝鮮によるICBMの発射は2017年以来。
韓国当局によると、発射されたミサイルは1時間以上飛行し、最高高度6000キロ以上に達した。
共同通信が日本政府の発表として伝えたところでは、ミサイルは午後2時33分ごろに発射された。同3時44分ごろ、青森県竜飛崎の西約170キロの日本の排他的経済水域(EEZ)内に落下したとみられるという。
韓国当局は24日、北朝鮮が禁止されている大陸間弾道ミサイル(ICBM)を日本海に向けて試験発射したと発表した。北朝鮮によるICBMの発射は2017年以来。
韓国当局によると、発射されたミサイルは1時間以上飛行し、最高高度6000キロ以上に達した。
共同通信が日本政府の発表として伝えたところでは、ミサイルは午後2時33分ごろに発射された。同3時44分ごろ、青森県竜飛崎の西約170キロの日本の排他的経済水域(EEZ)内に落下したとみられるという。
国連安全保障理事会の北朝鮮制裁委員会の下で制裁違反の有無を調べる専門家パネルが、年次報告書の中で北朝鮮が2020年から21年半ばにかけ、暗号資産(仮想通貨)取引所へのサイバー攻撃を通じ計5000万ドル(約58億円)分以上を盗み出したと指摘していることが分かった。加盟国からの情報だとしている。ロイター通信が7日までに報じた。
報告書は、北朝鮮が制裁を逃れながら外貨を獲得する手段として「仮想通貨を狙ったサイバー攻撃は依然として重要な収入源だ」と分析している。 (共同)
韓国で最もよく知られている北朝鮮の村の名前と言えば、阿吾地(アオジ)だろう。今では咸鏡北道(ハムギョンブクト)慶興(キョンフン)郡の中の、龍淵(リョンヨン)労働者区、鶴松(ハクソン)労働者区という地名に変わっているが、そこにある6.13炭鉱と梧鳳(オボン)炭鉱は、韓国で阿吾地炭鉱と呼ばれ、政治犯収容所の代名詞となっている。
実のところこの炭鉱、正式な収容所ではないのだが、実質的にはフェンスのない収容所と言っても過言ではない。朝鮮戦争時に韓国軍として参戦して北朝鮮の捕虜となった「国軍捕虜」が多数送り込まれ、強制労働に苦しめられてきたのだ。
今まで脱北に成功した国軍捕虜は80人いる。彼らとその家族の証言で、阿吾地で何が起きていたのか、徐々に明らかになりつつある。韓国紙・東亜日報記者で、脱北者出身のチュ・ソンハ氏が、脱出に成功した国軍捕虜や地域出身の脱北者の証言を元に、炭鉱で何が起きていたかを伝えている。
北朝鮮(以下、北)の国防科学院は、9月11日と12日に長距離巡航ミサイルの発射実験を行い成功した(北朝鮮中央放送2021年9月13日)。
北の報道によれば、「ミサイルは、楕円および8字型飛行軌道に沿って、7580秒飛行して、約1500キロ飛行した」という。
つまり、北軍が定めた軌道を地形に沿って時速約750キロ(亜音速:高速だが音速は超えない速度)で約126分間、1500キロ飛行したことになる。
北は、長距離巡航ミサイル開発のために、約2年間、数十回のエンジン地上燃焼試験、飛行試験、操縦(制御)誘導試験、弾頭威力試験などに取り組んできた。
北朝鮮の非核化をめぐって米朝の神経戦が始まっている。
ジェン・サキ米大統領報道官が「米政府による対北朝鮮政策見直しが完了した」と公言したのは4月30日。
ジョー・バイデン大統領がフィアデルフィアに向かうエアフォース・ワンの機内で同行記者団に明かした。
ホワイトハウス報道室が出した速記録(トランスクリプト)には「Press Gaggle」(ぶら下がりブリーフリング)とある。
これは正式の記者会見ではなく、オフカメラで記者団に非公式に行うブリーフィングを意味する。
「対北朝鮮政策見直し完了」ということを正式の記者会見ではなく、機内で、しかも「ぶら下がり」で記者団に伝えたのはなぜか。なぜこのタイミングなのか
かつて日朝両政府が推進した在日朝鮮人とその家族を対象にした「帰国事業」。1959年からの25年間で9万3000人以上が「地上の楽園」と喧伝された北朝鮮に渡航したとされる。その多くは極貧と差別に苦しめられた。両親とともに1960年に北朝鮮に渡った脱北医師、李泰炅(イ・テギョン)氏の手記。
(李 泰炅:北送在日同胞協会会長)
私は1952年、山口県下関市大和町東山1丁目で生まれた。両親は韓国の慶尚北道慶州(キョンサンブクド・キョンジュ)から日本に渡った朝鮮人で、私は7歳になると地元の朝鮮初中級学校に入学した。
下関朝鮮初中級学校で一緒だった44人の同級生のうち、4人とは後に北朝鮮で再会した。残りの40人は今頃どうしているのだろう。社会人として活躍しているか、あるいは引退して余生を送りながら、当時の写真を見ているに違いない。今でもあの時の同級生に会いたくてたまらない。
かつて日朝両政府が推進した在日朝鮮人とその家族を対象にした「帰国事業」。1959年からの25年間で9万3000人以上が「地上の楽園」と喧伝された北朝鮮に渡航したとされる。その多くは極貧と差別に苦しめられた。両親とともに1960年に北朝鮮に渡った脱北医師、李泰炅(イ・テギョン)氏の手記。
(李 泰炅:北送在日同胞協会会長)
私は1952年、山口県下関市大和町東山1丁目で生まれた。両親は韓国の慶尚北道慶州(キョンサンブクド・キョンジュ)から日本に渡った朝鮮人で、私は7歳になると地元の朝鮮初中級学校に入学した。
下関朝鮮初中級学校で一緒だった44人の同級生のうち、4人とは後に北朝鮮で再会した。残りの40人は今頃どうしているのだろう。社会人として活躍しているか、あるいは引退して余生を送りながら、当時の写真を見ているに違いない。今でもあの時の同級生に会いたくてたまらない。