本陣伊藤邸跡。下関の名家だった伊藤家は吉田松陰や坂本龍馬を支援していた 写真/フォトライブラリー

(町田 明広:歴史学者)

◉坂本龍馬はなぜ土佐藩を離れたのか①

坂本龍馬と久坂玄瑞

 文久2年(1862)1月、坂本龍馬は武市半平太の書簡を携え、長州藩の萩に久坂玄瑞を訪ねた。久坂は、「草莽崛起論」を開陳して、諸侯も公家も頼むに足らず、草莽の志士が糾合さえすれば天下を動かせると力説した。加えて、島津久光の率兵上京の目的が義挙であると説明し、薩摩・長州・土佐3藩が同盟関係を構築して、朝廷守護に尽力することを提案した。

 龍馬は、久坂の提案に大いに賛同した。久坂の言説に触れたことにより、武市が進める「藩」に依拠した尊王攘夷運動に疑問を感じた。龍馬は久坂に感化され、尊王志士としての骨格が形成されたと言っても過言ではなかろう。

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