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防災の日・・国防の日は何故ないのか?防災教育はするが国防教育をしない戦後日本

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【産経抄】9月2日

 ことわざのパロディーにある。<前菜は忘れた頃にやってくる>(森真紀(まさのり)著、『悪妻盆に帰らず』)。居酒屋の先付けもフルコースの前菜も、遅れて来た一皿にはどこか憎めないものがある。他日の笑い話になる分、天災より罪が軽いからだろう。

 ▼9月1日は「防災の日」であり「二百十日」でもあった。立春から数えて210日目は古来、台風の時節と重なる。〈二百十日日も尋常の夕べかな〉(蕪村)。嵐に備えた一日が無事に暮れる-。実りの秋を前に、台風の進路に死活を重ねた先人のおびえがにじむ。

 ▼6月以降、大阪北部で激しい地震があり、西日本豪雨による広域の水害があった。それぞれが「数十年に1度」というレベルの猛威である。「命にかかわる」と形容された酷暑も被災地を苦しめた。「天災」という響きに、これほど身構えた夏はあまり記憶にない。

 ▼台風の直撃も一再ではなかった。揺れ、水、熱、風。地異や天変が折り重なる「複合災害」への備えが、欠かせない時代である。いざというときに何を持ち出すのか。避難場所はどこか。離ればなれの家族とどこで落ち合うか。大切な人との間で確認しておきたい。

 ▼国の守りも同じだろう。来年度予算で防衛省の要求額が過去最大となった。弾道ミサイルの脅威に対し、地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」を導入する。動静の読めぬ相手が狭い海の向こうにいる。使い道に習熟し有事に対処できなければ意味がない。

 ▼パロディーといえば〈備えあれば嬉(うれし)いな〉(備えあれば憂いなし)もあった。こと防災と国防に関して言えば〈嬉しいな〉ではなく〈嬉し? 否(いな)〉がちょうどいい。万端に行き届いた準備をし、さあ来いと身構える。要諦は、この一点に尽きよう。


タグ:産経抄
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