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幕末の悲劇の人、京都守護職・松平容保の人物像と幕府と会津藩の関わり [3)日本の歴史]

幕末の悲劇の人、京都守護職・松平容保の人物像と幕府と会津藩の関わり

幕末維新人物伝2022(12)「京都守護職・松平容保の苦悩①」
2022.9.7(水)町田 明広
松平容保

(町田 明広:歴史学者)

 幕末の悲劇の一つに、会津藩・松平容保が挙げられることが多い。最後の最後まで幕府に忠義を尽くし、挙句の果てには新政府軍と対決して、一藩存亡の危機に瀕する大敗北を喫する。まさに、悲劇中の悲劇と言っても過言ではなかろう。

 今回は、その運命を決定づけた会津藩主の松平容保(1835~93)の京都守護職時代、その中でも長州藩との関係が抜き差しならなくなった元治期(1864~65)に焦点をあててみたい。そして、3回の連載によって、悲劇の芽がどのように派生したのか、その真実に迫っていこう。

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どこで間違った?二代将軍・源頼家のつまずきと父・頼朝との決定的な違い [3)日本の歴史]

どこで間違った?二代将軍・源頼家のつまずきと父・頼朝との決定的な違い

鎌倉殿の時代(29)若き二代目・頼家のつまずき
2022.8.5(金)西股 総生
源頼家像

(城郭・戦国史研究家:西股 総生)

「タネをまくのも務めのうち」だったが・・・

 急死した頼朝の後を継いで鎌倉殿となった、若き頼家。鎌倉幕府の正史として編まれた『吾妻鏡』を読むかぎり、頼家は政務に積極的な姿勢を見せていますし、各種の行事も怠ることなく、文化事業などにも力を入れていた様子がうかがえます。

 でも、残念ながら頼家の意欲は空回りしがちで、多くの御家人たちの信頼を勝ち取ることができませんでした。背景にはもちろん、ドラマでも描かれているような、北条氏と比企氏との権力争いがありました。ただ、それだけではなさそうです。頼家は、どこで間違ったのでしょうか? 

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川中島合戦、上杉謙信が布陣したのは妻女山ではなく西条山だった!? [3)日本の歴史]

川中島合戦、上杉謙信が布陣したのは妻女山ではなく西条山だった!?

地理関係で読み解く謙信と信玄の布陣と、伝説の一騎討ちの真相
2022.7.29(金)乃至 政彦
『大日本歴史錦絵』より「川中島大合戦之図」

(歴史家:乃至政彦)

決戦は両雄の宿命

 とりあえず、真否未詳の通説を話の主軸に置いて述べていこう。

 北信濃の海津城(貝津城。現・松代城址)は武田信玄が取り立てた平城である。

 川中島一帯の支配力を強めるため、築城したというが、その狙いは北の越後にある上杉謙信に対する備えであった。

 信玄と謙信はもう何年も信濃の地をめぐって衝突を繰り返してきた。そのたびにお互いが領有権を主張するかのように、旭山城、葛山城を取り立て、和睦して破却するなどしてきた。

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タグ:川中島合戦
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横浜開港・時代に翻弄された幕府公認・ラシャメンとは何か [3)日本の歴史]

横浜開港・時代に翻弄された幕府公認・ラシャメンとは何か

開国・日本を外交、外貨獲得手段として支えた娼婦たちの運命
2022.6.30(木)市川 蛇蔵

連載:少子化ニッポンに必要な本物の「性」の知識

港崎遊郭・四大大楼の一つ「神風楼」。看板に記された「NECTARINE」とはバラ科の果実を意味する。この異人揚屋は西洋人からはNo9の愛称で親しまれ、横浜港開港から関東大震災までの40年の間、繁栄を見せた大店(おおだな)である

 娼婦は春を鬻ぐなりわいの女性だが、商取引とは双方的なものである。

 かつて多くの女性が主張したように、「女性たちは純潔である」としたならば、この世に不潔な男性など、一人もいないだろう。

 もし、淫を買う男性が一人もいなければ、淫を売る娼婦も存在しないのだから。

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落馬事故による頼朝の死の真相とは?『吾妻鏡』空白の3年間の謎 [3)日本の歴史]

落馬事故による頼朝の死の真相とは?『吾妻鏡』空白の3年間の謎

鎌倉殿の時代(25)頼朝落馬事故の真相とは?
2022.6.27(月)西股 総生
鎌倉の頼朝墓所。石塔は江戸時代に島津氏が建てたもの。撮影/西股 総生(以下同)

(城郭・戦国史研究家:西股 総生)

頼朝の最期はどのようなものだったのか

 1199年(建久十/正治元)の1月13日、源頼朝は鎌倉で没しました。前年の暮れ、相模川の橋の落成記念式典から帰る途中で馬から落ち、それが元で亡くなった・・・ということに、歴史上はなっています。

 けれども、頼朝の最期が本当はどのようなものだったのか、詳しいことはわかっていません。なぜなら、鎌倉幕府の公式歴史書である『吾妻鏡』に、頼朝の死についての記述がないからです。いえ、それどころではありません。

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鎌倉幕府が押し進めた「武士の荘園侵略」に見る権力の本質 [3)日本の歴史]

鎌倉幕府が押し進めた「武士の荘園侵略」に見る権力の本質

鎌倉殿の時代(24)幕府権力の本質に迫る
2022.6.20(月)西股 総生
源氏山から鎌倉を見守る頼朝像 撮影/西股 総生

(城郭・戦国史研究家:西股 総生)

「武士の荘園侵略」の実態とは

「武士の荘園侵略」。そんな言葉を、歴史の教科書で見た記憶はありませんか?

 鎌倉時代になると、幕府の御家人たちが、各地の荘園に地頭として入り込むようになります(第21回https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/70338]参照)。地頭たちは、自分の取り分を勝手に増やしたり、荘園領主に上納する年貢の一部を横取りしたり、村人たちを私用に使ったり。「武士の荘園侵略」とは、そうした行為の総称です。

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タグ:鎌倉幕府
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小林一茶、並外れた「性」への執着、おらが春 [3)日本の歴史]

小林一茶、並外れた「性」への執着、おらが春

女郎通い、生活苦、骨肉の争い・・・作風に似合わぬ生き様
2022.6.20(月)市川 蛇蔵

連載:少子化ニッポンに必要な本物の「性」の知識

若い時、頻繁に女郎通いをしていた一茶は52歳にして初めて妻を迎えた。その夜の交合は『七番日記』に記録されている

 小林一茶は松尾芭蕉、与謝蕪村と並ぶ江戸時代を代表する俳人である。

名月を取てくれろとなく子哉

やせ蛙負けるな一茶これにあり

目出度(めでた)さも中位也(ちゅうくらいなり)おらが春

 こうした句がよく知られるが、江戸での奉公生活や、その後の安定しない俳諧行脚の生活など、自身の肌身に感じた生活の苦労、人生の矛盾、貧しさにあえぐ人々の日常の姿を投影した句も多い。

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タグ:小林一茶
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織田信長は仏教が嫌いだったのか?「比叡山焼き討ち」の真相 [3)日本の歴史]

織田信長は仏教が嫌いだったのか?「比叡山焼き討ち」の真相

信長が敵視した粗暴者の溜まり場と成り果てた「聖地」の実態
2022.6.10(金)乃至 政彦
比叡山延暦寺根本中堂 写真/アフロ

(歴史家:乃至政彦)

比叡山を焼いた織田信長と仏教

 織田信長といえば、元亀2年(1571)9月の比叡山焼き討ちが有名である。

 この焼き討ちをもって、“信長は仏教や僧侶が嫌いだった”という解釈がある。

 だが信長は為政者であるから、僧侶や仏教の保護にも熱心であった。形の上では浄土宗に帰依しており、「天下布武」の印判を定めたのも信長と親しい禅僧の沢彦宗恩である。また、信長は傅役・平手政秀の菩提寺として政秀寺を建立させてもいる。

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幕末の俊英を育てた巨星・佐久間象山の生涯と暗殺の謎 [3)日本の歴史]

幕末の俊英を育てた巨星・佐久間象山の生涯と暗殺の謎

幕末維新人物伝2022(8)「佐久間象山暗殺の真相①」
2022.5.27(金)町田 明広
佐久間象山 写真/アフロ

(町田 明広:歴史学者)

 古今東西、政情が不安定になったり震災が起こったりすると、必ずどこからか不思議と湧き上がってくるのが流言、風説、デマの類であり、今で言うフェイクニュースである。幕末においても、それは同様である。時によって、まことしやかに喧伝された流言によって、暗殺の対象とされてしまい、命を落とす人物も少なからず存在した。

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タグ:佐久間象山
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武将のイメージは「描かれ方」次第、江戸時代に称賛されていた家康の「謀略」 [3)日本の歴史]

武将のイメージは「描かれ方」次第、江戸時代に称賛されていた家康の「謀略」

「方広寺鐘銘事件」はどう描かれたか?
2022.5.25(水)呉座 勇一

「狸親父」と「我慢の人」、相反する2つのイメージがある徳川家康。そのイメージは、主に後世の書物によって生み出された。大阪冬の陣の原因の1つとなったとされる「方広寺鐘銘事件」。この事件における家康の描かれ方の変化とは? 歴史上の人物のイメージはこのようにして作られる──。歴史学者・呉座勇一氏の最新著書『戦国武将、虚像と実像』(角川新書)から一部を抜粋・再編集してお届けする。(JBpress)

方広寺鐘銘事件はどう描かれたか

 徳川家康の悪名を高めたのが大坂の陣である。方広寺(ほうこうじ)の鐘銘(しょうめい)を口実に豊臣家を挑発して戦争に持ち込み、大坂城の内堀の埋め立てなどの謀略によって豊臣家を滅ぼしたという認識が「狸親父」イメージを決定づけた。

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なぜ織田信長は、父・信秀のように居城を移転し続けたのか? [3)日本の歴史]

なぜ織田信長は、父・信秀のように居城を移転し続けたのか?

親子ともに居城を移り続けた稀有な例から見えてくる理由
2022.5.10(火)乃至 政彦
岐阜駅前にある織田信長像 写真/アフロ

(歴史家:乃至政彦)

織田信秀と織田信長

 織田信長の父に、織田信秀がいる。正確な生没年は確言しがたいが、42歳で亡くなったのは間違いないようだ。命日は3月3日とも3月9日ともいう。

 さてこの信秀だが、大河ドラマ『麒麟がくる』で魅力的な人物に描かれたことで、興味を覚える視聴者も多かっただろう。信秀のことを知ろうと思ったら、信長研究で著名な故・谷口克広先生の『織田信秀』(祥伝社新書・2015)がもっとも手に取りやすい。

 特にこの本の面白いところは、信秀と信長を比較して、その共通点と相違点を探り出すところにある。そこで谷口氏は両者の共通点のひとつとして、居城の移り変わりの多さを挙げた。

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タグ:織田信長
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日本に「城主」が生まれたのはいつから?「城」から広がる文化と社会 [3)日本の歴史]

日本に「城主」が生まれたのはいつから?「城」から広がる文化と社会

軍隊行進だった「大名行列」(5)
2022.4.19(火)乃至 政彦
三浦和田一族の惣領中条氏の館跡とされる奥山荘城館遺跡・江上館跡

(乃至 政彦:歴史家)

 一般的に儀礼の行列から発展したと考えられている「大名行列」。この行列の編成様式に注目した歴史家・乃至政彦氏は、その起源は上杉謙信が武田信玄に大勝した「川中島合戦」の軍隊配置にあったと解く。平安時代の天皇の行幸から、織田信長、明智光秀、伊達政宗ら戦国時代の陣立書、徳川時代の大名行列や参勤交代の行列まで、「武士の行列」を大解剖した乃至氏の書籍「戦う大名行列」の発売(電子&web版のみ)を記念し、一部内容を抜粋して紹介する。

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タグ:大名行列
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上総介広常粛清…『吾妻鏡』に記されていない寿永2年に何が起こったのか? [3)日本の歴史]

上総介広常粛清…『吾妻鏡』に記されていない寿永2年に何が起こったのか?

鎌倉殿の時代(14)上総介広常粛清の背景(前編)
2022.4.18(月)西股 総生
歌川芳虎「大日本六十余将 上総介広常」(部分)

(城郭・戦国史研究家:西股 総生)

『吾妻鏡』に記されていない広常粛清事件

 佐藤浩市さん演じる上総介広常は、御家人たちの中でも抜群の存在感を放っていました。その広常が突如として粛清されるシーンは、鎌倉幕府の成立史に詳しくない方には、かなりショッキングだったのではないでしょうか。あるいは、かつて『新選組!』で佐藤浩市さんが芹沢鴨を演じたことを思い出した大河ファンも、少なくないかもしれません。

 実は、この広常粛清事件がなぜ、どのように起きたのかは、よくわかっていません。というのも、鎌倉幕府の正史として編まれ、鎌倉幕府研究の基礎史料となっている『吾妻鏡』に、この事件のことが書かれていないからです。

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源義仲と和田義盛を魅了した巴御前の生涯 [3)日本の歴史]

源義仲と和田義盛を魅了した巴御前の生涯

法皇と頼朝に愚弄された木曽義仲、その栄華と零落
2022.4.15(金)市川 蛇蔵

連載:少子化ニッポンに必要な本物の「性」の知識

倶利伽羅峠の戦いで平家追い詰め京に上洛した源(木曽)義仲(画:長野県木曾郡木曽町・徳音寺所蔵)

平氏ばかりか頼朝も敵となった木曽義仲

 源義仲は信濃源氏・源義賢の次男。源頼朝・義経兄弟とは従兄弟にあたる。『平家物語』で旭将軍と呼ばれている。

 治承4年(1180年)、後白河天皇の第三皇子・以仁王(もちひとおう)の「令旨」により、平氏打倒のため挙兵したことで知られる。

 諸国の源氏に以仁王の令旨を伝え歩き、平家打倒の決起を促した源行家が、源頼朝から追い払われると、行家が義仲を頼って身を寄せたことで頼朝と義仲の関係は悪化。

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絶世の美男!?坂東武者・源義賢を不幸にした血統と美貌の謎 [3)日本の歴史]

絶世の美男!?坂東武者・源義賢を不幸にした血統と美貌の謎

兄・義朝よりも出世したが失脚、身内で争う源氏一族の末路
2022.3.22(火)乃至 政彦
埼玉・嵐山町にある源氏三代供養塔と源義賢の墓  C2リベンジCC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

(乃至 政彦:歴史家)

源義賢という男

 源義賢(みなもとのよしかた。生年不明)はエリート武人として、一族の期待を一身に担っていた。

 しかも若き日の義賢は、坂東に逼塞させられた兄の義朝(よしとも)を差し置いて、出世街道を進んでいた。義朝はこれからというところで、父の意向により、無位無官のまま在京の任を解かれ、坂東へ送られた。いっぽう義賢は、東宮(皇太子)の親衛隊長を勤めて、「帯刀先生(たてわきせんじょう)」の栄職に就いたのだ。

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なぜ武士は「土地」にこだわるのか?「一所懸命」になる真意 [3)日本の歴史]

なぜ武士は「土地」にこだわるのか?「一所懸命」になる真意

鎌倉殿の時代(9)武士と土地
2022.3.14(月)西股 総生
神奈川県海老名市にある上浜田遺跡は鎌倉武士の屋敷跡。発掘調査でみつかった建物の跡が表示されている。画面右手奥には大きな馬屋があった。撮影/西股 総生

(城郭・戦国史研究家:西股 総生)

鎌倉殿の時代(7)義経と弓https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/69019
鎌倉殿の時代(8)東アジア世界の片隅にhttps://jbpress.ismedia.jp/articles/-/69046

土地は彼らの生計を支える収入源

 今回は、地方の武士たちと土地の関係について、見てゆきましょう。 『鎌倉殿の13人』を見ていると、武士たちは土地に強いこだわりをもっているようです。頼朝につけば土地を認めてもらえるのか、敵に勝てば奪った土地をもらえるのか・・・といった具合です。

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土佐一条家を創設した一条房家はなぜ、逃げ回っていたのか? [3)日本の歴史]

土佐一条家を創設した一条房家はなぜ、逃げ回っていたのか?

「闘う」貴族、土佐一条家の創設と一条房家の実像(1)
2022.3.11(金)中脇 聖
一条房家

(中脇 聖:日本史史料研究会研究員)

土佐一条家はいつ創設されたか?

 筆者は、本サイトの既出記事で「貴族のイメージを覆す!戦国時代の「闘う」貴族、一条兼定の実像」と題し、ゲーム、漫画、小説などで描かれるフィクションとしての一条兼定を彼と同時代の状況を反映したと思われる史料を中心に見直した。幸いにも、多くの読者に好評を得ることができた。

 今回は、土佐一条家の初代当主である一条房家(1477〜1539年)について、その知られざる動向と実像を明らかにしてみたい。

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タグ:一条房家
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坂本龍馬が「薩摩藩士」だったことを証明する史実とは? [3)日本の歴史]

坂本龍馬が「薩摩藩士」だったことを証明する史実とは?

幕末維新人物伝2022(3)「坂本龍馬は薩摩藩士か?③」
2022.3.9(水)町田 明広
坂本龍馬

(町田 明広:歴史学者)

幕末維新人物伝2022(1)「坂本龍馬は薩摩藩士か?①」https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/68946
幕末維新人物伝2022(2)「坂本龍馬は薩摩藩士か?②」https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/68948

大石団蔵(高見弥一)の事例

 坂本龍馬を薩摩藩士と考えるにあたり、同じような事例が龍馬前後に生じていたのか、その実例を示すことは、有効な傍証となり得ると考える。まずは、大石団蔵を例にして検討してみよう。

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タグ:坂本龍馬
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薩長同盟を成立させた坂本龍馬、長州藩は薩摩藩士と見ていた? [3)日本の歴史]

薩長同盟を成立させた坂本龍馬、長州藩は薩摩藩士と見ていた?

幕末維新人物伝2022(2)「坂本龍馬は薩摩藩士か?②」
2022.3.2(水)町田 明広
長崎市風頭公園にある坂本龍馬の銅像 写真/アフロ

(町田 明広:歴史学者)

幕末維新人物伝2022(1)「坂本龍馬は薩摩藩士か?①」https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/68946

藩士の定義とは

 慶応元年(1865)5月、薩摩藩士・坂本龍馬としての履歴がスタートしたと筆者は考えるが、果たして龍馬は本当に薩摩藩士だったのであろうか。そもそも、藩士とは一体何か、まずはその定義づけを行おう。

 一般論として、大名の家臣は必ず分限帳(家臣団名簿。主君が主従関係を持った相手は誰かを判別するツール)に登載されることになる。龍馬は土佐藩において、郷士身分を獲得した事実は存在せず、あくまでも郷士の次男または弟に過ぎない。厳密に言えば、山内家の家臣ではないため、山内家の分限帳には未登載となっている。

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タグ:坂本龍馬
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薩摩藩はなぜ、土佐脱藩浪士である坂本龍馬をスカウトしたのか [3)日本の歴史]

薩摩藩はなぜ、土佐脱藩浪士である坂本龍馬をスカウトしたのか

幕末維新人物伝2022(1)「坂本龍馬は薩摩藩士か?①」
2022.2.23(水)町田 明広
坂本龍馬

(町田 明広:歴史学者)

新シリーズスタート

 2022年がスタートして、もう2ヶ月近くが経過してしまった。筆者は今年、年男であり、還暦を迎えることになるが、恐らく、気がつけば年末なのだろう。それはさておき、昨年の渋沢栄一シリーズに続き、今回から「幕末維新人物伝2022」をスタートさせたい。今年もどうかよろしくお願いいたします。

 本シリーズでは、幕末維新期の様々な人物を取り上げることになるが、ある人物のおおよその人生を俯瞰して、詳細にお届けすることになるか、あるいは、ある人物の特別なエピソードのみを切り出してお届けすることになろう。

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タグ:坂本龍馬
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「領主別編成」から「兵科別編成」へ、戦国時代の軍隊革命とは? [3)日本の歴史]

「領主別編成」から「兵科別編成」へ、戦国時代の軍隊革命とは?

軍隊行進だった「大名行列」(3)
2022.2.20(日)乃至 政彦
飛騨守惟久筆「後三年合戦絵詞」(東京国立博物館所蔵) 出典:Colbase 馬上のまま突進しながら前方のてきに弓矢を放つ源義家軍の武士。勇ましく騎射する騎馬武者とこれに立ち向かう徒歩の弓兵が描かれている。

(乃至 政彦:歴史家)

 一般的に儀礼の行列から発展したと考えられている「大名行列」。この行列の編成様式に注目した歴史家・乃至政彦氏は、その起源は上杉謙信が武田信玄に大勝した「川中島合戦」の軍隊配置にあったと解く。平安時代の天皇の行幸から、織田信長、明智光秀、伊達政宗ら戦国時代の陣立書、徳川時代の大名行列や参勤交代の行列まで、「武士の行列」を大解剖した乃至氏の書籍「戦う大名行列」の発売(電子&web版のみ)を記念し、序章を3回に分けて公開する(JBpress)。

◉軍隊行進だった「大名行列」(1)(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/68907
◉軍隊行進だった「大名行列」(2)(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/68912

中世の「領主別編成」と近世の「兵科別編成」

 ところで戦国時代の軍隊にはひとつのイノベーションがある。それは「領主別編成」から「兵科別編成」への移⾏である。

 中世の武⼠による合戦は、私的な中⼩規模の領主が寄り集まり、これらが連合して、敵勢に乱闘を仕掛けるといった戦闘が主流であった。

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大名の財政圧迫だけではなかった「大名行列」の真の目的とは? [3)日本の歴史]

大名の財政圧迫だけではなかった「大名行列」の真の目的とは?

軍隊行進だった「大名行列」(2)
2022.2.19(土)乃至 政彦
(図1)徳川時代の平和を象徴する⼤名⾏列の図「拾万石御加増後初御入国御供立之図」(津山郷土博物館所蔵)

(乃至 政彦:歴史家)

 一般的に儀礼の行列から発展したと考えられている「大名行列」。この行列の編成様式に注目した歴史家・乃至政彦氏は、その起源は上杉謙信が武田信玄に大勝した「川中島合戦」の軍隊配置にあったと解く。平安時代の天皇の行幸から、織田信長、明智光秀、伊達政宗ら戦国時代の陣立書、徳川時代の大名行列や参勤交代の行列まで、「武士の行列」を大解剖した乃至氏の書籍「戦う大名行列」の発売(電子&web版のみ)を記念し、序章を3回に分けて公開する(JBpress)。

◉軍隊行進だった「大名行列」(1)(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/68907

財政圧迫だけではない「大名行列」の目的 

 もし⼤名財政の圧迫、つまり⼤名の弱体化を⽬的とするものだったら、幕府はまず斬り捨て御免の習俗からやめさせるべきだっただろう。

 斬り捨て御免は、地⽅の⼤名たちに「我らは⾃⼰判断による武⼒⾏使が可能な存在だ」との思いを強めさせる恐れがある。幕府が本⼼から⼤名を⼼服させたいのなら、彼らが特権的な戦⼠階級であることを忘れさせ、腑抜けの集団にさせる⽅がよい。そのためには、⼤名⾏列の武装を禁⽌するのが合理的ではないだろうか。

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タグ:大名行列
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日本の戦国「軍事革命」が東アジアを一変させた、「大名行列」の謎を解く [3)日本の歴史]

日本の戦国「軍事革命」が東アジアを一変させた、「大名行列」の謎を解く

軍隊行進だった「大名行列」(1)
2022.2.18(金)乃至 政彦
島原陣図屏風(朝倉市秋月博物館蔵)

(乃至 政彦:歴史家)

 一般的に儀礼の行列から発展したと考えられている「大名行列」。この行列の編成様式に注目した歴史家・乃至政彦氏は、その起源は上杉謙信が武田信玄に大勝した「川中島合戦」の軍隊配置にあったと解く。平安時代の天皇の行幸から、織田信長、明智光秀、伊達政宗ら戦国時代の陣立書、徳川時代の大名行列や参勤交代の行列まで、「武士の行列」を大解剖した乃至氏の書籍「戦う大名行列」の発売(電子&web版のみ)を記念し、序章を3回に分けて公開する(JBpress)。

戦列縦隊でもあった「武士の行列」

 徳川幕府は中世以来打ち続く国内の紛争を克服し、武家社会による⻑期の安定政権を築いた。被⽀配層の百姓万民は天下泰平を享受するかわりに、唯⼀武⼒を有する武⼠層を上位権⼒として認め、⾝分の違いを受け⼊れ、かつ公的に敬意を表する必要があった。

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鎌倉時代の珍事件、「おケツ滅多打ち」の復讐に燃えた女官たち [3)日本の歴史]

鎌倉時代の珍事件、「おケツ滅多打ち」の復讐に燃えた女官たち

天皇の悪ふざけに仕返し、宮中「粥杖事件」の顛末
2022.2.14(月)花園 祐
写真はイメージです(出所:写真AC)

(花園 祐:中国・上海在住ジャーナリスト)

 歴史の授業で誰もが習う鎌倉時代の大きな事件と言えば、鎌倉幕府が京都の朝廷に対しその主導権を確立させた「承久の乱」(1221年)、中国の元朝による日本侵略に対する防衛戦争の「元寇」(1274年、1281年)の2つがまず挙がってくるでしょう。

 逆に言うと鎌倉時代においてはこの2つの事件ばかりが目立ち、その他の出来事についてはあまり語られることがありません。同時代の史料がやや少ないなどといった理由もありますが、鎌倉時代好きの筆者としては残念な限りです。

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『鎌倉殿の13人』三善康信ら、頼朝の挙兵を支えた重要人物たち [3)日本の歴史]

『鎌倉殿の13人』三善康信ら、頼朝の挙兵を支えた重要人物たち

鎌倉殿の時代(6)頼朝を取り巻く人々 PART2
2022.2.14(月)西股 総生
湯河原駅に立つ土肥実平夫婦像

(城郭・戦国史研究家:西股 総生)

昨年の「鎌倉殿への道」に続き、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では中世軍事考証という立場で関わっている西股総生氏の連載「鎌倉殿の時代」。今回は頼朝を取り巻く人々を紹介する第2弾として、頼朝の挙兵を支えた5人の人物を紹介する(JBpress)。

鎌倉殿の時代(1)頼朝を取り巻く人々PART1
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/68307

戦国武将の祖先も登場

◉源行家(みなもとのゆきいえ/杉本哲太)

 源義朝のいちばん下の弟で、頼朝の叔父にあたります。熊野の新宮に住んでいたことから新宮十郎と名乗っていました。経歴は不詳ですが、都から離れていたため平治の乱に巻き込まれずに済んだようです。

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織田信長の茶道インフルエンサーとなった2人の茶人 [3)日本の歴史]

 前回「戦国時代に茶道ブームを引き起こした武野紹鷗の戦略」はリッチな武器商人・武野紹鷗がマネーパワーでバーチャル貧困を演出する侘び茶の世界を築き上げた話をした。歌道の大家である高級公家・三条西実隆の日記にはしょっちゅう〝秘計〟というワードが登場してくるのだが、これは「金策」「お金の工面」という意味。

 金欠で常にピーピー言っていたわけだ。

 紹鷗はそんな実隆の財務アドバイザー、すなわちファイナンシャル・プランナーとなり、諸方面に顔を売って商売に生かしながら、侘び茶の可能性を見いだしたことになる。今回は茶道大流行の基礎を築いたこの「茶湯の巨人」に続いた茶人をテーマに進めていこう。

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