鎌倉の頼朝墓所。石塔は江戸時代に島津氏が建てたもの。撮影/西股 総生(以下同)

(城郭・戦国史研究家:西股 総生)

頼朝の最期はどのようなものだったのか

 1199年(建久十/正治元)の1月13日、源頼朝は鎌倉で没しました。前年の暮れ、相模川の橋の落成記念式典から帰る途中で馬から落ち、それが元で亡くなった・・・ということに、歴史上はなっています。

 けれども、頼朝の最期が本当はどのようなものだったのか、詳しいことはわかっていません。なぜなら、鎌倉幕府の公式歴史書である『吾妻鏡』に、頼朝の死についての記述がないからです。いえ、それどころではありません。

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