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(歴史家:乃至政彦)
比叡山を焼いた織田信長と仏教
織田信長といえば、元亀2年(1571)9月の比叡山焼き討ちが有名である。
この焼き討ちをもって、“信長は仏教や僧侶が嫌いだった”という解釈がある。
だが信長は為政者であるから、僧侶や仏教の保護にも熱心であった。形の上では浄土宗に帰依しており、「天下布武」の印判を定めたのも信長と親しい禅僧の沢彦宗恩である。また、信長は傅役・平手政秀の菩提寺として政秀寺を建立させてもいる。
(歴史家:乃至政彦)
織田信長といえば、元亀2年(1571)9月の比叡山焼き討ちが有名である。
この焼き討ちをもって、“信長は仏教や僧侶が嫌いだった”という解釈がある。
だが信長は為政者であるから、僧侶や仏教の保護にも熱心であった。形の上では浄土宗に帰依しており、「天下布武」の印判を定めたのも信長と親しい禅僧の沢彦宗恩である。また、信長は傅役・平手政秀の菩提寺として政秀寺を建立させてもいる。
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