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100年前に予見された「北京外交」における日本の敗北 [■論評]

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(SeanPavonePhoto/gettyimages)

 

 「今や北京は殆(ほと)んど世界外交の中心であるかの観がある。少なくとも日本外交の中心点は北京である。若(も)しわが日本が、北京外交の舞台に於(おい)て敗を取ることがあるならば、大日本の理想は遂に一個の空想に過ぎない」と、なにやら21世紀初頭の現在を連想させそうな“大志”を抱き、高瀬敏德は中国に向かう。

 1902(明治35)年の8月28日、「男児の意気常に豪壮なるものあらん」と高瀬丸で神戸港の岸壁を離れる。あと日露戦争は2年後に迫っていた。

 20世紀の世界が解決すべき最大の問題が「所謂支那問題なるもの」と考える高瀬は、「今や世界は清国を公開して、世界の大市場となさんとしてゐる」と現状を把握した後、対外開放以後の清国に対する列強の対応ぶりを説く。

 

 

 

 


タグ:北京外交
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死はいつからタブーになったのか? [■論評]

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医学の進歩で寿命が延び、核家族化により死が身近でなくなった日本人にとって、これから本格化する「多死社会」で、死をどのように受け入れていけばよいのか。宗教学者の山折哲雄氏に、ジャーナリスト兼僧侶の鵜飼秀徳氏が聞いた。
山折哲雄(Tetsuo Yamaori): 宗教学者、評論家。1931年、サンフランシスコ生まれ。54年、東北大学インド哲学科卒業。国際日本文化研究センター名誉教授(元所長)、国立歴史民俗博物館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授。著書に『「ひとり」の哲学』、『「身軽」の哲学』(ともに新潮選書)、『老いと孤独の作法』(中公新書ラクレ)など多数。(写真・太田未来子)

 

鵜飼:日本人の死を取り巻く環境が大きく変化をしてきています。たとえば昔は自宅で親族らによって看取られ、地域の人々の手によって手厚く葬られたものですが、今は病院や高齢者施設で死を迎えるのが大方です。ひとりで死に、その後の葬送も随分簡素になっています。できれば自宅で家族に見守られながら死んでいきたいと願っている人は多いですが、なかなか理想通りの最期になっていないのが実情です。こうした日本人の死をめぐる環境の変化を、山折さんはどう見ていらっしゃいますか。

山折:戦後75年間の死生観の変化の流れを見ると、二つの転機があります。

 一つ目は、近代医学の進歩によって、生と死を明確に区分するようになったこと。もうひとつは、高齢化です。死を取り巻く環境があまりにも急激に変化してきており、死生観の根幹にひびが生じているように感じます。

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