2012/4/8
伝統的な日本人の行動規範は何だったのか?
単に若気の至りで済む問題だろうか、
以前も部活での一気飲みが問題になったことがあるが・・・、
問題は公共の場所で、不特定多数の目があると言うことだ。
だんだんと、分別、節度、自制の能力が衰えているのだろうか、
これも日本弱体化の一つの傾向なのかも知れない。
そう言えば、最近は一人前の大人がとか、一人前の男がとか、
一人前の女がとかを、あまり聞かなくなったような気がする。
もう、そんな認識が人の意識から無くなっているのか、
それとも、その境界線が分からなくなってしまったのか?
私的には、後者の方だろうと感じる。
一人前の大人になる、大人にする教育はあったのか、
これは昔も今もない、
しかし、以前の場合は躾がそうだろう、
学問としてなくとも、親、兄弟、先生、社会がそれを教えたのだ、
だが現在にはそれがない、ほとんどその光景も見ることはなくなった。
原因はなんだろうか?昭和50年位からの共稼ぎのせいだろうか、
この頃から急激に共稼ぎが増えたような記憶がある、
当然、子供は保育園、幼稚園に預けることとなり、他人様の預かりで道理も分からない子供なのだから、従来の親の躾の様には、とても、いかなかっただろう。
昭和30年代は、幼稚園はあったが、保育園はない町が多かったかと思う。
幼児期に親元にいる時間が少ない、この影響は大きかったのではないかと推測。
現在の厚労大臣などゼロ歳から教育等と馬鹿な事を言っている、
何を教育しようと思っているのか?
小学校に通いだしても、帰宅すると親がいない、
学校での居残り、先生も忙しいか面倒は見れなかっただろう。
教育もどんどん変わり、大学進学率の大幅上昇、
学校はいつしか、学問専門の学校になったのではないのだろうか?
そして、子供は塾通い、暗くなって帰ってくる。
昭和30年代前半位までの子供は暗くなって帰っても、塾からではない、子供集団で遊んでの帰宅だ。
ここはミニ社会だから、子供は社会に必要な事を身につけてきた。
塾は、同じ集団でもそれはない。
学校ではクラスの交わりが中心だから、遊びの時ほど社会性は身につかないだろう。後は先生による躾だが・・・・
先生の躾教育も、体罰、人権とかでままならず、
挙句の果てにはモンスターペアレンツとかの出現で、戦後流行りの権利、平等、差別まで飛び出す始末。
これでは義務教育を卒業しても、社会に適応可能な子供は多くはないだろう・・・
田舎では昭和40年代始めまでは中学卒で集団就職は普通で、高校進学率も40%前後だったと記憶する。
最近の子供の何れ位に務まるのだろうか?
モチロン出来る子供には出来るが、出来ない子供には出来ない、問題はその割合だ、
40年代前後の子供は、仕事を止めて田舎に帰ってくるのは一割も居なかったと思う。
武家社会の場合、士農工商でそれぞれの仕来りがあった、
一人前の大人、一人前の社会人としての儀式、仕来りだ。
決して年齢による判断だけではなかったのだ。
商工はかなり厳しかったようだ。(門家ではないので、詳しくは分からない)
現代それらしきは、成人式だが、果たして、これが儀式と言えるのだろうか、
残念ながらお祝いの域を出ないだろう、
法律的に成人、大人としての権利と義務を得たと言うことだけなのだ。
ここでも、実社会生活用よりも法律優先。
簡単に言えば、飲酒、喫煙、選挙権を得、法に違反すれば刑務所に入ると言うことだ。
法律等、一般国民には分かりようもない。
法律に違反しなければ、大丈夫・・・、
幸い日本人は99%以上がまともに生活をしている。
しかし、この真面な生活は誰が教えたのか?
これも特に教育された訳でもない。考えれば不思議なことだ。
これが民族性、文化と言うモノだろう。
考えるに、日本には昔あった、大人、社会人としての「日本人の行動規範」が、今はなくなりつつあるのではないかの懸念、
後30年もすれば、更に曖昧な規範になっていそうな気がする。
歴史的、伝統的な「日本人の行動規範」とはなんだろう。
実のところ個人的にはよく分からない。
列挙しても、それが正しいものか否かは分からない。
戦後だれも、そう言う事を言わないし、教科書もない。
研究する学者はいるのだろうか?
とにかく、戦前、戦争を語ることがタブーな時間が長く続きすぎた。
歴史的日本が希薄ななるには十分な時間ではなかったのか?
果たして、これを誘導してきたのは誰なのか?
戦後はGHQとそれに協力した左派(アカ)に間違いはないが、その後の流れがよくわからないのだ。
その方面の文献も最近になってチラホラ、表出し始めた程度で詳細は国民には分からないし、誰も教育してこなかった。
この「日本人の行動規範」の希薄化・・・、
過去、躾によって受け継がれてきた最重要の生活文化の断絶、
これが現代の若者に少しづつ顕在化し始めたのではないのだろうか、
国民の責任と言うより、戦後政治の最大の責任の一つではないだろうか