11月くらいから春先まで、江戸・佃沖では、四つ手網という白魚漁用の網を備えた船のかがり火が多数見られた。白魚漁の始まる頃になると、灘などの関西地域からの新酒が江戸にもたらされた。シーズンが到来すると、取れたての江戸前の白魚に灘の新酒で一杯というのが、江戸ならではの食文化である。
白魚はきれいな海に生息する魚である。江戸は世界有数の100万都市でありながら、当時の大川(現隅田川)や江戸前海(現東京湾)の水質は良好であった。なぜ、きれいであったかというと、江戸は、循環型社会の一つの完成形をなしていたからである。