安倍晋三元首相の国葬が9月27日、東京の日本武道館で行われた。日本史上最長期間首相を務め、世界的にも評価されたリーダーであったにもかかわらず、「賛否分かれる中での実施」として報じられ、会場近くでは反対集会も開かれた。
 これは、英フィナンシャル・タイムズ紙から「経済と外交において並外れたレガシーを残した」と評され、各国の首脳から弔意が寄せられた世界での見られ方とは大きく異なる(「安倍晋三元首相の国際的評価から学ぶべきこと」岡崎研究所)。
 さらに、銃撃事件発生直後から危惧されていたSNSを中心とする言論空間での世論の分断と、そこで起きた憎悪を容易に個人へとぶつけてしまう社会が深刻化する可能性もはらむ。たしかに、国葬実施や莫大な費用の決定過程での問題と言える部分があったかもしれないが、一時の感情に流されず冷静に安倍元首相の功績を振り返るとともに、今後あのような凄惨な事件を起こさないために何が必要か考える必要があるのではないだろうか。
 そこで、2022年7月19日に本サイトで掲載した記事を再掲する。

 いまだ続くコロナ禍で、私たちは嫌というほど社会、そして言論空間の歪みを目撃してきた。その歪みが増幅される中で、安倍晋三元首相は7月8日、参議院選挙の遊説中に凶弾に倒れ、突然命を奪われてしまった。

安倍元首相への罵詈雑言が今回の事件につながったとも言える(2015年7月、Natsuki Sakai/アフロ)

 岸田文雄首相は「卑劣な蛮行は断じて許せるものではない」と語り、非業の「死」を伝える新聞各紙には「民主主義の破壊許さぬ」(朝日)、「民主主義への愚劣な挑戦」(毎日)、「卑劣な言論封殺 許されぬ」(読売)、「許されざる蛮行」(日経)との見出しが並んだ。もちろんその通りではあるのだが、「民主主義に対する」という言葉に違和感を覚えるのも事実だ。その「解」について考えてみたい。

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