三種の神器なき即位
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』も、クライマックスの承久の乱に向けて、乱のもう一人の主役である、尾上松也演じる後鳥羽院(後鳥羽上皇)の出番も増えてきた。
治天の君(朝廷の政務の実質的な指導者の総称)として君臨し、最大の敵として北条義時の前に立ちはだかることになる後鳥羽とは、どのような人物なのだろうか。
後鳥羽は、治承4年(1180)7月14日に、高倉天皇の第四皇子として誕生した。源頼朝の挙兵の約1ヶ月前である。
北海道浦幌町のアイヌ民族の団体「ラポロアイヌネイション」は11日、同町を流れる浦幌十勝川の河口で遡上(そじょう)した秋サケを迎える伝統儀式「アシリチェプノミ」を行った。差間正樹会長(71)は「今年も新しいサケを神にささげられて感動した」と話した。
この日集まった団体のメンバーは約10人で、儀式を前に早朝から手づくりの丸木舟に乗って、伝統的な刺し網漁でサケ計33匹を捕獲。午前10時からの儀式では、柳の木でできた「サパンペ」と呼ばれる冠をかぶって火を囲み、酒や踊りを奉納した。
団体によると「アシリチェプ」はアイヌ語で「新しい魚」、「ノミ」は「祈り」の意味。かつて各地のアイヌが川や海岸で行ったとされるが、浦幌町に記録は残っておらず、差間さんらが他地域の資料などから学び、2年前に復活させた。
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[>]アイヌは本当に先住民族なのか?答えは「否」
アイヌ問題おさらい
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大河ドラマ『鎌倉殿の13人』も、クライマックスの承久の乱に向けて、乱のもう一人の主役である、尾上松也演じる後鳥羽院(後鳥羽上皇)の出番も増えてきた。
治天の君(朝廷の政務の実質的な指導者の総称)として君臨し、最大の敵として北条義時の前に立ちはだかることになる後鳥羽とは、どのような人物なのだろうか。
後鳥羽は、治承4年(1180)7月14日に、高倉天皇の第四皇子として誕生した。源頼朝の挙兵の約1ヶ月前である。
6月16日、南太平洋の島国ソロモン諸島の首都ホニアラで、第2次世界大戦中に旧日本軍と米軍が戦った「ガダルカナルの戦い」から80年の慰霊式典が行われた。
この式典に出席していた米国務省の懐方、ウェンディ・シャーマン副長官*1は、こう言い放った。
「80年前、米国と同盟国の若者たちはそれまでどこにあるかも知らなかったこの島で旧日本軍と戦い、1600人が戦死、4000人以上が負傷した」
(城郭・戦国史研究家:西股 総生)
今回は、鎌倉武士と城について考えてみます。
全国各地にある城を訪れて、そこに立っている説明板を読むと、「この地に最初に城を築いたのは、鎌倉時代の誰それと伝えられている」と書かれていることが、よくあります。いえ、看板だけではなく、出版物なんかにも同じことが書いてあります。
東京近郊の城跡を例にとってみると、神奈川県藤沢市の大庭城は大庭景親が、同じく平塚市の岡崎城は岡崎義実が築いたことになっています。あるいは、埼玉県嵐山町の菅谷(すがや)城は畠山重忠が築いたとされていて、城跡には重忠の像も建っています。
日本は、どのくらい貧しくなっているのか。このことは、おそらく日本国内で暮らしていると、諸外国との比較が難しい分、あまりピンとこないかもしれない。しかし、国民全体の家計は、年々、厳しくなっていることは間違いない事実ではないだろうか。
1990年代半ばから欧米で過ごしてきた筆者は、日本の経済力が次第に衰えていく様子を、国外の人々の暮らしぶりと照らし合わせながら観察してきた。ヨーロッパを旅する日本人観光客や駐在員らは、当時、町中の至るところに溢れ、ありとあらゆる商業施設や飲食店を賑わしていたものだ。
バブル崩壊前の90年時点では、日本の平均賃金は、英国やフランスよりも高かったのだから当然かもしれない。金遣いのいい日本人は、現地人にとってありがたい存在だった。しかし今では、その光景は、中国人と韓国人に入れ替わった感がある。