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ベートーベンの「交響曲第9番」は大正7年6月1日に初めて日本で演奏された

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【産経抄】6月1日

 ベートーベンの「交響曲第9番」が、ウィーンで初演されたのは、1824年の5月だった。すでにほとんど耳が聞こえなかったベートーベンは、聴衆の拍手に気づかず、作品の出来栄えを確認することもかなわなかった。

 ▼この曲はやがてドイツのみならず、「人類の遺産」として世界中で愛されるようになる。とりわけ日本では年末の風物詩として、毎年100回を超える演奏会が開かれる。「第九」にとって、第二の故国といえるだろう。

 ▼その原点をたどると、第一次世界大戦の最中、徳島県鳴門市に開設された板東俘虜(ばんどうふりょ)収容所にいきつく。中国・青島で日本軍の捕虜となったドイツ兵約4700人のうち、千人が収容されていた。

 ▼所長の松江豊寿(とよひさ)は、ドイツ人捕虜の待遇に心を配り、地元民との交流を進めたことで知られる。そのために、軍上層部との衝突も辞さなかった。会津藩士の家に生まれた松江は、父親から戊辰戦争における会津の屈辱を聞かされて育った。だからこそ、ドイツ人捕虜に対して「武士の情け」を示し続けた。

 ▼収容所内では、パンやソーセージが作られ、スポーツや芸術活動も盛んだった。その一つとして、大正7年6月1日に演奏された「第九」が、日本いやアジアでの初演とされる。45人編成のオーケストラに4人の独唱と約80人の合唱団で構成されていた。当然ながら、女声だけは望むべくもなかった。

 ▼ちょうど100年となる本日、収容所跡地近くに建設された鳴門市ドイツ館で、当時をそっくりそのまま再現する演奏会が開催される捕虜たちが望郷の念にかられ涙を浮かべながら歌った「歓喜の歌」は、今や欧州全体を象徴する歌となった。初めて聞く日本人の心に、どのように響いたのだろう。

 


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