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明治人が考えたロマンティシズムあふれた「東亜保全論」 [◆論  評◆]

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 宮本武蔵の生まれ故郷は岡山県東北部に位置する英田郡讃甘村だそうだが、武蔵生誕の地の北隣に社を構える神官の家に生まれた白岩龍平(明治3=1870年~昭和17=1942年)は、後に西園寺公望、近衛文麿、牧野伸顕などの知遇を得て、日露戦争開戦前年の明治36年(1903)に湖南汽船会社を設立し湖南省で水上交通運送を始め、明治41(1908)年に大東汽船、湖南汽船など4社を日清汽船会社に統合・改組し専務取締役として経営に当たり、翌年には東亜興業の創業に参画し取締役に就任している。

(NicoElNino/gettyimages)

 その白岩の許に出入りしていた安井正太郎が湖南省を歩いたのは、どうやら湖南汽船会社設立を構想する白岩の命を受けてのことらしい。

 安井によれば、湖南人は「土風古にして世利に淡く、慷慨節を尚ひ不義を為すを耻づ、学者は礼を勤め耕者は力に勤むといへる」らしい。財物に恬淡とし、礼を尊び、情に厚く、質実剛健であり、貧富に大きな差がなく、たまには乞食を見かけもするが、街並みは整然として清潔だ。「之を清国中何れの地方に求むるも見るを得ばからず」。

 つまり清国のどこを探しても、湖南人ほど頼もしく、湖南省ほど素晴らしい地域は見当たらない。一種の桃源郷といったところか。ベタ褒めである。

 

 

 

 


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