(歴史家:乃至政彦)
惟任光秀が作った「織田家唯一の軍法」がある。今回はその狙いに迫ってみたい。
領主別編成から兵種別編成への移行
本能寺の変を起こす月日のちょうど1年前、明智こと惟任(これとう)光秀は家中の軍法を定めた。歴史学界で「明智光秀家中軍法」(御霊神社所蔵)と呼ばれている史料である。
細かいことを言うと、光秀はこの時期すでに明智を使わなくなっていて、惟任と名乗って久しいので、「惟任光秀家中軍法」と呼ぶべきだと思う(この時期の光秀を「明智光秀」と呼ぶのは、晩年の徳川家康を松平家康、豊臣秀吉を木下秀吉と呼ぶようなものである)。
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