富山県砺波市頼成新地内の桜の木の下にひっそりとたたずむ「長尾塚」。為景が一向一揆との戦いで敗れて死亡したとの説により、長尾為景の墓とされる。

(乃至 政彦:歴史家)

越後の梟雄・長尾為景の野望(前編)

生没年不明だった長尾為景

 越後守護代・長尾為景が、文明18年(1486)生まれであることは前回述べた。歴史研究の世界でこれが確定したのは今から4年前のことである。

 では、為景の没年はどうだろうか。

 こちらも長い間不明で、死因すらも明確ではなく、戦死であると記すものが多かった。試しに近世の軍記を見てみよう。『甲越軍記』『管窺武鑑』が天文11年(1542)に越中で討ち死にしたと記しており、『越国内輪弓箭』または『上杉将士書上』や『上杉三代日記』などの宇佐美系軍記は天文7年(1538)に同地で戦死したと記している。ほかの文献では天文5年(1536)に死去したとするものが多く、NHKの大河ドラマ『風林火山』(2007)でも天文5年死亡説を採っていた。

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