鎌倉の源氏山公園に建つ頼朝像 撮影/西股 総生(以下同)

(城郭・戦国史研究家:西股 総生)

鎌倉殿への道(15)10月21日、頼朝と義経、感動の対面
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/67345

清和源氏でも地方豪族の道を選んだ佐竹氏

 富士川の合戦で平家軍を「撃退」した頼朝は、宿老たちの進言をいれて常陸へと転進した。佐竹氏を討つためである。佐竹氏は、もともとは頼朝と同じ清和源氏の一族である。

 清和天皇を祖とする清和源氏のうち、頼朝の家系である河内源氏や、頼政の摂津源氏は、畿内を本拠地とし、京で治安警察業務を担当する中下級貴族となった家である。こうした家を「都の武者」とか「軍事貴族」と呼ぶ。

 これに対し、地方豪族として土着するというコースを選んだのが、佐竹氏や上野の新田氏、下野の足利氏、甲斐源氏や信濃源氏の一族である。したがって、同じ源の姓を名乗ってはいても、別に同族として一致団結するわけではない。むしろ、独立した家として、それぞれが勢力を築く意識の方が強い。

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