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【歴史の転換点から】大獄に死す-松陰と左内の「奇跡」(8)時代と洋の東西を超えて実現した悲願 野村興児・至誠館大学長  [3)日本の歴史]

【歴史の転換点から】大獄に死す-松陰と左内の「奇跡」(8)時代と洋の東西を超えて実現した悲願 野村興児・至誠館大学長 

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吉田松陰全集を手にする野村興児・至誠館大学長=山口県萩市椿東浦田の至誠館大学・吉田松陰研究所で(関厚夫撮影)
 吉田松陰は志士として、また教育者として何を後世に残したのだろうか。松陰の故郷である山口県萩市出身で、国税庁調査査察部長を経て萩市長を6期務めた後、現在は至誠館大学長と同大吉田松陰研究所長を兼任している野村興児さん(75)に聞いた。
日本一自由だった松下村塾
 「吉田松陰は日本ではかつてなかった教育を松下村塾で行っていました。というのも、そこではすべてが『自由』だったからです。規則もないし、身分の制限もない。学び方も塾生によってまちまちだし、出入りも自由。授業料を支払う義務もない。当時は規則で学生をがんじがらめにする一方、成績主義によって座る場所まで決まる-といった教育が当たり前でした。
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