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【国難を乗り越える 日本書紀】「白村江の戦い」大敗が残した教訓から… 最高の国防体制を構築、敵の侵攻に備え [3)日本の歴史]

国難を乗り越える 日本書紀】「白村江の戦い」大敗が残した教訓から… 最高の国防体制を構築、敵の侵攻に備え

福岡県八女市にある「大伴部博麻呂碑」。玉垣に「尊朝愛國」「賣身顕忠」と刻まれている
福岡県八女市にある「大伴部博麻呂碑」。玉垣に「尊朝愛國」「賣身顕忠」と刻まれている

 

 前稿までの日朝関係と日中関係がクロスする、古代東アジア史のクライマックスの1つが「白村江の戦い」(663年)であろう。

 隋に代わって中国を統一した唐が高句麗(こうくり=朝鮮半島北部を支配した国家)を圧迫するのを見て、百済(くだら=同南西部にあった国家)と抗争中の新羅(しらぎ=同南東部にあった国家)は唐に臣従した。

 やがて唐は新羅とともに百済にも侵攻し、西暦660年に百済は滅亡、百済の遺臣たちが日本に救援を求めた。

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