SSブログ

鳥取城での豊臣秀吉のようにはいかぬ 北朝鮮への兵糧攻めの難しさ 9月14日

閉じる

【産経抄】鳥取城での豊臣秀吉のようにはいかぬ 北朝鮮への兵糧攻めの難しさ 9月14日

 昨日は織田信長と明智光秀について書いた。本日は豊臣秀吉の登場である。秀吉は、敵方の城への兵糧攻めを得意としていた。食糧の補給路を断ち、敵の士気を奪って城を落とす。天正9(1581)年6月には、山陰の鳥取城を包囲した

 ▼秀吉はすでに前年から商人を使って、米を買い占めていた。高値につられて城の備蓄米まで売り払われた。毛利氏から主将として派遣された吉川経家(きっかわ・つねいえ)が城に入ったとき、もはや戦える状態ではなかった。

 ▼北朝鮮に対する国連安全保障理事会の追加制裁は、まさに兵糧攻めである。北朝鮮による核実験の強行から、わずか1週間あまりというスピード採択は評価できる。ただ、米国が当初提案していた石油の全面禁輸は、中国とロシアの反対で見送られた。

 ▼こんな中途半端な制裁で効果が上がるのか、はなはだ疑問である。「米国にかつてない苦痛を与える」。相変わらず勇ましい北朝鮮は、今後も核・ミサイルの挑発に出てくるだろう。その度に制裁を強化するしかない。核攻撃の直接の脅威にさらされている日本は、本来主導する立場である。

 ▼まして朝鮮学校を高校授業料無償化の対象にするなど論外である。東京地裁は昨日、朝鮮学校の除外は違法とする、卒業生らの賠償請求を退けた。北朝鮮の独裁者を賛美する教育は今も続いている。当然の判断である。

 ▼鳥取城に話を戻せば、4カ月後に一切の兵糧が尽きた。秀吉に降伏した経家は自害して、城兵たちの命を助けた金正恩・朝鮮労働党委員長にこの史実を伝えても、鼻で笑われるのが落ちだろう体制保持と自らの身の安全への執念に比べれば、国民の困窮に興味があるとは思えない。北朝鮮に対する兵糧攻めの難しさは、そこにある。

 


タグ:産経抄
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:ニュース

nice! 1

コメント 0

Facebook コメント