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功少なくて弊多きことを信ずる 2月21日

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2017.2.21 05:04

【産経抄】功少なくて弊多きことを信ずる 2月21日

 本日は「漱石の日」である。といっても、文豪の誕生日でも忌日でもない。明治44(1911)年のこの日、44歳の漱石が世間を騒がせた出来事に由来する。胃潰瘍で入院中だった漱石の留守宅に、文部省から突然届いた証書がきっかけだった。

 ▼文学博士を授与するというのだ。本人の意思を確かめないやり方に漱石は激怒して、送り返してしまう。2カ月後、文部省が辞退は受け入れられないとの判断を示すと、漱石は反論の手紙を書いて、こんな啖呵(たんか)を切った。「現今の博士制度は功少なくして弊多きことを信ずる…」。

 ▼文部科学省が主導してきた大学改革の一つが、「スーパーグローバル大学創成支援事業」である。特定の大学を世界レベルの教育研究を行うタイプAと日本のグローバル化を牽引(けんいん)するタイプBに分け、重点的に支援する。各大学が補助金を求めて競争する仕組みだ。

 ▼大学の自主独立を尊重する立場から、「功少なくして弊多きことを信ずる」関係者も少なくないだろう。ただし、批判の声が表面に出てくることはない。それどころか、天下りのポストと補助金の供与がセットになった、官学癒着の疑惑さえささやかれている。

 ▼漱石の反骨心は、時の首相にも向けられた。西園寺公望(きんもち)から園遊会に招待されたのは、博士号辞退の4年前である。小説『虞美人草(ぐびじんそう)』を執筆中の漱石は、はがきにこんな句を記して返事とした。〈時鳥(ほととぎす)厠(かわや)半(なか)ばに出かねたり〉。ホトトギスが鳴いているといわれても、用を足していて出られない。

 ▼とぼけた断り方ができたのも、当時の漱石が権力とは無縁の立場にいたからだ東京帝大英文科の教授に就任していたら、おとなしく博士号を授与され、名作の数々は生まれることはなかっただろう


タグ:産経抄
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