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【本郷和人の日本史ナナメ読み】大坂の陣と後藤又兵衛(下)古文書精査で報道との相違点が…又兵衛の首はどこへ? 2人の小姓はいたのか? [3)日本の歴史]

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2016.12.8 11:30

【本郷和人の日本史ナナメ読み】大坂の陣と後藤又兵衛(下)古文書精査で報道との相違点が…又兵衛の首はどこへ? 2人の小姓はいたのか?

後藤又兵衛の討ち死にを豊臣秀頼に報告している場面を示した「書付『後藤又兵衛討死之時』」

 すいません! 最近、あやまってばかりいるようだけれど、もう一度。ごめんなさい!

 何のことかというとですね、先週の後藤又兵衛の最期を伝える古文書です。ぼくは現物を確認することをしないで、各紙の報道を参考にコラムの記事を書いたのです。まあ、さすがに誤りはないだろう、と。…甘かった。今回、古文書の写真を入手して読んでみたら、「ええっ!」。各紙の報道と異なることが出てきたんですね。

 というわけで、まずは古文書を読み下します。脇指し、脇差し、のように字が異なるのは、原文書に忠実に書いているためです。

 一、後藤又兵衛討ち死の時、秀頼公より拝領の脇指し-行光-、是(これ)にて又兵衛首を討ち、秀頼公御前にて、かくの如く討ち死つかまつる次第申し上げ候へ、と申し候、長四郎と申す児姓(こしょう)に脇指し相渡し、申され候、長四郎脇指し請け取り候へども、又兵衛印(首級(しるし)のあて字だろう)をあげ候(そうろう)義(ぎ)は罷(まか)りならず、脇差しばかり、秀頼公へ差し上げ申し候事、

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