1923年の関東大震災からちょうど100年経って、当時内務大臣兼復興院総裁だった後藤新平の震災復興が成功体験として紹介される例が多い。

 確かにあのとき、東京は、昭和通り・靖国通り・晴海通りなど幹線通りをつくり、隅田川をはじめ河川に多くの名橋をつくり、公園もたくさんつくった。これらを今日でも私たちは東京の重要なインフラとして使っている。

東京都内の幹線道路など、後藤新平による復興計画が現代のインフラに生かされている( flashfilm/gettyimages)

 後藤新平の震災復興が今日の東京の都市計画の基盤をつくったことは間違いない。しかしあのときの日本は、日清・日露の二つの戦争を経て軽工業・重工業を通じて産業革命をなし遂げた時だった。

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