承久の乱後、後鳥羽上皇と血縁関係にある三千院の門主が建造した京都・大原「法華堂」(写真:PIXTA)

 後鳥羽上皇が、鎌倉幕府を牛耳る北条義時の討伐を命じた「承久の乱」。結果的には、幕府側が圧勝し、以後、武家政権は盤石なものとなった。しかし、後鳥羽上皇が挙兵した時点では、決して簡単な戦いではなく、幕府は2つの作戦の間で揺れていた。立地的に守りやすい鎌倉に籠城するか、思い切って軍勢を京都に差し向けるか――。

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