防災と防衛はいずれも災いへの対応だ。前者での災いは災害であり、後者での災いは武力攻撃である。これらの災いは多くの人命に関わるものだが、日本人の防災と防衛への向き合い方には大きなギャップがある。

日本では、「防災の日」に毎年、訓練が実施される(ロイター/アフロ)

 それが如実に現れる時期は、8月初旬から9月上旬にかけてだ。本稿では、9月1日の防災の日、8月6日の広島原爆の日および8月9日の長崎原爆の日における日本人の対応に焦点を当て、そのギャップについて考えてみたい。

災害大国・日本の高い防災意識と対策

 9月1日は、1923年9月1日に発生した関東大震災にちなんだ「防災の日」だ。関東大震災による死者・行方不明者は推定10万5000人であり、この数は明治以降の日本の地震被害としては最大である。

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<以下抜粋>

他国からの武力攻撃は防ぎ切れない

 多くの日本人は、災害という災いは自然現象であり、人間が災害の発生を防ぐことはできず、いずれは発生することを前提にして対策を講じている。その一方、武力攻撃という災いは自分たちで防ぐことができると考える人々も多いかもしれない。なぜなら、原爆投下も東京大空襲も日本が戦争を始めた結果としての災いであり、日本が戦争を始めなければ防ぐことができたとの思いは、多くの日本人の心の中に根強く漂っているからだ。

 したがって、広島原爆の日、長崎原爆の日、そして終戦記念日には、犠牲者への追悼と共に二度と戦争を始めないという反省が語られる。そして、日本が戦争を始めなければ武力攻撃には晒されないと思い込みが強まれば、これらの日は専ら追悼と反省に費やすべき日となり、武力攻撃に備えた訓練を行うという発想は生まれない。また、将来を担う子供たちに戦争は悪だと教える一方、防衛について教えようとはしなくなる。

 もちろん、防災にも思い込みは存在した。日本の原発は事故を起こさないとする原発安全神話がその代表だ。

 今やその神話は捨て去られたが、神話を信じた代償は大きい日本が戦争を起こさなくても、日本を侵略する意志と能力のある国は日本を攻撃する。

 ロシア・ウクライナ戦争は、ウクライナが始めたのではない。ロシアが不当にもウクライナを侵略しウクライナ国民に甚大な犠牲を強いているのだ。

 日本人は、日本が戦争を始めなければ武力攻撃に晒されることはないとの神話から脱却し、起こり得る不当な武力攻撃への備えに取り組むべきだ。再び甚大な犠牲を被ってから神話を信じたことを悔やんでも、遅すぎるのだ。