鶴岡八幡宮 撮影/西股 総生(以下同)

(城郭・戦国史研究家:西股 総生)

鎌倉殿への道(9)8月28日、逃亡をつづけていた頼朝の運命は
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/66553

「鎌倉殿の13人」とは?

 4月9日からスタートした、この連載。2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』への〝予習〟のつもりで読んでいる方も多いと思う。今回は、そうした事情も視野に入れつつ、連載の展望みたいな話を少し、書いておこう。

 まず、『鎌倉殿の13人』の「鎌倉殿」とは、われわれが普通、鎌倉幕府将軍と呼んでいる人のこと。つまり、源頼朝や頼家・実朝たちを指す。

 なぜ、将軍ではなく「鎌倉殿」という呼び方をするのかは、この連載の最後となる12月の回で説明しよう。いまここで、くだくだ理屈で述べるより、頼朝が旗挙げした1180年(治承4年)の出来事を、ひととおり追った上で説明した方が、ストンと腑に落ちるからである。

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