左・石田三成像(東京大学史料編纂所模写) 右・本多忠勝像(良玄寺蔵)

(乃至 政彦:歴史家)

関ヶ原の主役とも言える石田三成と徳川家康。不仲であったと言われるが、同時代の史料を見る限り、ふたりの間にそれほど深刻な対立は感じられない。それどころか、どちらも豊臣公儀の維持のため尽力しており、ときに相互協力をも惜しまなかった様子がある。合戦が起こった経緯、徳川家臣・本多忠勝が敗者・三成にとった行動を辿れば、三成のひととなりが見えてくる。 (JBpress)

石田三成と徳川家康の関係

 石田三成徳川家康は不仲であったと言われている。

 そうした印象に基づいて両者の動きを見ていくと、関ヶ原合戦は、三成の主家への忠心と、老獪な家康の野心がぶつかったもののように見えてくる。

 しかし、同時代の史料を見る限り、ふたりの間にそれほど深刻な対立は感じられない。それどころか、どちらも豊臣公儀の維持のため尽力しており、ときに相互協力をも惜しまなかった様子があるようだ。

>>続きを読む