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【歴史の転換点から】江戸無血開城の「点と線」(4)西郷と勝 慶喜助命は暗黙の了解  [3)日本の歴史]

【歴史の転換点から】江戸無血開城の「点と線」(4)西郷と勝 慶喜助命は暗黙の了解 

6日追加分=江戸無血開城の「点と線」(4)用写真(1)
勝海舟と西郷隆盛が会談したと伝えられる池上本門寺・松涛園=東京都大田区(関厚夫撮影)
 700年以上の由緒がある日蓮宗大本山・池上本門寺(東京都大田区)。慶応4(後の明治元=1868)年3月13・14(旧暦)の両日に行われた新政府軍参謀、西郷隆盛と旧幕府軍事取扱、勝海舟との会談が「江戸城攻撃の延期(結果的に中止)」という画期を生み、西郷が新政府首脳との協議のためいったん西に向かった後、この名刹(めいさつ)が、西郷の留守を預かる新政府軍幹部と勝との間で「無血開城」の実務を協議する舞台となった。
 その本門寺では9月初旬の数日間、名園として知られる松涛(しょうとう)園が一般公開されている。江戸開城の直前のことだろうか、慶応4年4月、勝は西郷ともこの松涛園の一角で会談した-と本門寺には伝えられている。
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