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【夕焼けエッセー】認知症もまた良し [3)ライフ]

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【夕焼けエッセー】認知症もまた良し

 義母は80を前にして骨髄腫という大病を患った。その診断がおり、治療方針が決まるまでの1カ月ほどは、激痛に悩まされ、1日何回も私にしがみついて泣いた。

 医師から血液のがんだと言われ、「大丈夫だから」と丁寧な説明を受けても、ただただ恐れた。と、ほぼ同時期に認知症の兆候が出始めた。医師から「1年もつかな」と言われ、私はパート勤めを辞めた。薬の管理や食事等、誰かがそばにいなくては無理な状況だった。

 発症から3年半、私は義母と一緒に泣き笑いの日々を過ごした。義母は適切な治療のおかげで痛みからも解放され、認知症のおかげで自分の病気も忘れた。恐れから解放された。

 亡くなる10日前までデイサービスに通い、自宅ではなんとか自分の足で歩けた。家族にとって大変だったのは病気ではなく認知症の対応であった。経験された方が「うんうん」とうなずくであろう一通りのことを経験した。でも過ぎてみればなぜか笑える。義母の持っていたおおらかさのおかげだったかもしれない。

 水戸黄門になりきった。自殺にも誘われた。警察に保護され額の両側から血を流している姿は、八つ墓村の映画みたいだった。一番笑えたのは「アーメン」という祈りを、「ラーメン!」と真顔で返してきた。この冒涜(ぼうとく)も神に赦(ゆる)され、なんとも平和に笑って逝った。

 こうしてみれば認知症もまた良しである。

小平 玉枝(62) 鳥取県伯耆町


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