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「核の傘」をかざす米国では、日本独自の核抑止力が論じられる時代にもなった

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【産経抄】8月6日

 往年の名スプリンター吉岡隆徳はただ一度、「駆け足」を悔いたことがある。広島高等師範学校の教授時代という。学生を連れて郊外の工廠(こうしょう)に詰めていた朝、原爆は落とされた。市内に残す家族のもとへ、酸鼻を極めた地獄絵図の中を吉岡は走る。

 ▼道すがら助けを呼ぶ声がした。〈これらの人々を踏み越えるようにして我が家へ急いだ〉と自著『わが人生一直線』に書き留めている。未曽有の惨禍を前に、非を鳴らされるいわれはあるまい。悔恨にさいなまれた吉岡はしかし、戦後まもなく教授職を辞している。

 ▼1932年ロサンゼルス五輪の陸上男子100メートルで6位入賞し、「暁の超特急」と呼ばれた人の終生癒えなかった傷という。「教育も理性も一発の原爆であとかたもなく吹っ飛んでしまう」。人の尊厳を一瞬で焼き尽くした閃光(せんこう)の罪深さを、誰もが思う季節だろう。

 ▼遠いロンドンでは、日本の若いスプリンターたちが世界陸上選手権のトラックを駆けている。わずか10秒に人生を懸ける選手たちの輝きもまた、同じ地上の光である。武器も取らず、誰をあやめることもなく争うすべを、人類は太古の昔から知っていたというのに。

 ▼わが国に弾頭を向け、核開発への道をひた走る愚かな独裁者が、狭い海を隔てた向こう岸にいる。核の傘」をかざす米国では、日本独自の核抑止力が論じられる時代にもなった。核の脅威がこれまでになく現実味を帯びる中で迎えた、72回目の「原爆忌」である。

 ▼惨禍の光を再び許してはなるまい広島・平和公園の歌碑にはこう刻まれている。〈まがつびよ/ふたたびここに/くるなかれ/平和をいのる/人のみぞここは〉。災厄の神よ、ここには二度と来るな。湯川秀樹博士の詠んだ、痛切な願いである。

 


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