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三隈川に〝濁り〟は似合わない 7月9日

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【産経抄】三隈川に〝濁り〟は似合わない 7月9日

 「ユーセンはなさいましたか」。土地の女性に聞かれ、司馬遼太郎は答えに詰まった。『街道をゆく』の取材で、大分県日田市を訪ねた折のひとコマという。しばしの思案でピンときた。日田はかつて、漢学書生であふれ返った町ではないか-と。

 ▼江戸後期の儒学者、広瀬淡窓が私塾「咸宜園(かんぎえん)」を開いたのはこの地だった。言葉を漢語読みする遺風は、至る所にある。「昨夜、舟の上で晩ご飯を食べた。あの舟がユーセン(遊船)か」。司馬の問いに「さようでございます」と返ってきた。のどかな会話である。

 ▼町を東西に縫う三隈川は、名産の杉を諸方に運び町を富ませた。富は各地から人を吸い寄せ、豊かな文化の土壌をなした。日田が「小京都」とも「水郷」とも呼ばれるゆえんである。当地では水郷を「すいきょう」と読むらしい。なるほど濁音はこの町に合わない。

 ▼ここ数日の写真や映像は、濁った空や河川と呼べぬ荒れ狂った濁流を伝えていた。暮らしを潤す「緑のダム」も表情穏やかな清流もそこにはない。多くの命を奪った福岡、大分の豪雨である。安否不明の人も多く、孤立した集落もある。いまはただ無事を祈りたい。

 ▼杉かヒノキか。日田市小野地区では、土砂崩れによる流木が集落を押しつぶした。消防団員の男性が犠牲になったという。本来は保水の役目を果たす植林でもあったろう。温暖化の余波なのか、人知の無力さに言葉を失う。空の動きも地球の行き着く先も読めない。

 ▼淡窓に三隈川を詠んだ漢詩がある。〈十里の清江 藍も如(し)かず/人家 往往 流れに架して居(す)む…〉。流れは藍も及ばぬほど青く、川沿いの家々は流れの上に床を出して暮らしを営んでいる、と。豪雨。濁流。線状降水帯。濁りをもたらす天が憎い。

 


タグ:産経抄
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