新しい年が明けた。2017年だ。

 元日の朝、客もまばらなコンビニで、新聞各紙を買いそろえてみた。残念なことに、いずれも目立ったスクープはない。あえていえば、読売が「中国 海底に命名攻勢」との見出しで、中国が日本の排他的経済水域周辺で海底地形の調査を行い、国際機関に中国語による命名の申請を活発に行っていたという記事くらいか。朝日や毎日は、それぞれ「試される民主主義」、「多文化主義の危機」とトランプ現象に見舞われた米国社会の病巣を描く記事を一面に掲載していた。いずれも読むと、いい記事なのだが、目を引くようなものではない。

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新聞のスクープは終わったのか?

 もはや新聞はスクープで勝負する時代ではなくなったということか。昨年は週刊文春によるスクープの連発が注目された一方で、その他のメディアがスクープから手を引く傾向が露になった年だった。調査報道の朝日の看板だったはずの特別報道部もぱっとしなかった。私の親しい記者もこの部署にいるが、酒を飲んでは覇気のない部内の空気を愚痴ってばかりだった。

 スクープは競争相手がいるからこそ、次々と出てくるもの。文春一強時代のような現状は、決して望ましいものではない。新聞も雑誌もどこの編集部でも、経費削減で取材にカネをかけないようにする傾向が強まる一方だから、業界で最もふんだんに経費を使っている文春にスクープで対抗できるような媒体が出て来るのは、難しいだろう。昨年の文春の成功は、スクープの時代の終わりの始まりなのではないか。

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