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〈禁煙の場所が広がり身が細り〉(サラリーマン川柳)

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2016.10.16 05:03

【産経抄】10月16日

 物理学者の寺田寅彦には愛煙家の顔もあった。たばこの失敗談がある。電車を待つ間に街で葉巻を買い求め、火を付けたのはよい。くゆらす間もなく目当ての電車が来て、困った。やむなく東京・神田から日本橋まで歩いたと、随筆に書いている。

 ▼以前留学したベルリンでは、車掌室が喫煙所として開放されていたらしい。日本の「全面禁煙」は意外だったか、赤っ恥の経験を夏目漱石にこぼしている。これに飛びついた漱石は、連載中の『彼岸過迄』で登場人物の失策として滑稽に描いた。寅彦にとって、苦みが長い尾を引く一服だったろう。

 ▼小説のみならず映画やドラマからも、たばこの居場所が失われつつある。喫煙場面のある映画に年齢制限を設けるよう、世界保健機関(WHO)が各国に求める時代になった。行間や銀幕に漂う紫煙が、消える日も遠くないだろう。

 ▼はたから見れば愛煙家にはかなり息苦しい世の中と映る。日本の受動喫煙対策はしかし、世界最低レベルという。病院などは「全面禁煙」ではなく、「敷地内全面禁煙」にすべしとの声を聞く。国も罰則付きの法制化に動いている。

 ▼乗り物は当然のこと、駅など交通機関の施設もご法度-というのが、厚生労働省の対策案である。2020年東京五輪を控え、紫煙を取り巻く環境を世界基準に合わせる流れは避けられまい。〈禁煙の場所が広がり身が細り〉(サラリーマン川柳)。寅彦の手にした葉巻も、世が世なら罰金ものか。

 ▼かく言う当方は紫煙との交わりを断って、15年以上になる。この季節、梶井基次郎の詩の一節を思い出す。〈秋の日の下、くゆらす煙草(たばこ)のいとからし〉(『秋の日の下』から)。あの苦みは文学の中、記憶の中で味わえばよい。それで十分である。

 


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