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【戦後71年 楠木正成考<第4部>】倒幕(5)「公」を忘れた日本人へ 尊氏の翻心生んだ籠城戦 [3)日本の歴史]

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2016.9.19 16:00

【戦後71年 楠木正成考<第4部>】倒幕(5)「公」を忘れた日本人へ 尊氏の翻心生んだ籠城戦

六波羅探題址に立つ石碑。六波羅は正成が奮闘する間に攻め滅ぼされた=京都市東山区の六波羅蜜寺(恵守乾撮影)

 楠木正成が千早城で、鎌倉幕府の大軍と戦った日数は100日を超える。正成が奮戦する間に起こった変化を、湊川神社(神戸市)発行の『大楠公』はこう記す。

 <元弘三(1333)年閏(うるう)二月二四日、天皇、隠岐御脱出。二八日、名和長年、船上山に御迎へす>

 この変化に反応した1人が鎌倉幕府の有力御家人、足利高氏(あしかがたかうじ)(1305~1358年、後の尊氏)である。『大楠公』は、4月29日のこととしてこう書く。

 <足利高氏、帰順し、赤松則村・千種忠顕(ちぐさ・ただあき)・結城親光等と共に六波羅(ろくはら)を攻む>

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