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「表には桜を、裏には栗を」は清正の遺訓として知られる。せめて「裏の栗」を胸に、心を寄せられないか。

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2016.4.17 05:02

【産経抄】4月17日

 米3升に味噌(みそ)、そして銀銭300文。加藤清正が腰に帯びた常備食に常備金という。「それでは腰が重かろう」とからかう盟友の福島正則に清正は答えていわく「これを見れば、家臣も戦備を怠るまい」。

 ▼備えを重んじたのは、豊臣秀吉に取り立てられた異数の出世と無縁でないらしい。約5500石の侍大将から肥後北半国19万5千石の領主に任じられたのは、天正16(1588)年である。さぞ物入りだったろう。秀吉から与えられた他家の武具や家財、家臣団を重用した。「表には桜を、裏には栗を」は清正の遺訓として知られる。表通りは桜並木で人の目を喜ばせよ。栗の実は非常時の食料とせよ。領国の民を思いやる心ばえがいまもまぶしい。

 ▼14日夜に起きた震度7の地震は清正の手になる熊本城を激しく損なった。犠牲者の数は増え、絶えぬ余震が人々をおびえ惑わせている。「せいしょこ(清正公)さん」の悲痛な嘆きを、泉下に聞く。

 ▼避難所で過ごす方々は自宅のようすが気がかりだろう。都心で見守る身はしかし、浅慮に走ることなく、次の揺れから身を守るように願うほかない。「生きていれば何とかなる。死なないことだ」。東日本大震災の被災地で聞いた元防災担当者の叫びを記しておく。

 ▼救出と復旧の続く現地では、空模様の崩れも怖い。ツイッター上では聞くに堪えぬデマが飛び交い、被災者の感情を逆なでする。わが国はこの四半世紀で阪神、新潟県中越、東日本という3度の大震災を経験した。その度にわれわれが積み上げたはずの「優しさ」は何だったのか。心ない仕打ちが恥ずかしくもあり、悲しくもある。

 ▼地震列島にたつ日本という城の、誰もが領民であろう。せめて「裏の栗」を胸に、心を寄せられないか。


タグ:産経抄
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