古代史学界の柏鵬戦 3月15日
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【産経抄】古代史学界の柏鵬戦 3月15日
646年のいわゆる「大化の改新」より前の時代、古代日本はどんな構造をもっていたのか。既に国の下に県(あがた)、国造(くにのみやつこ)の下に県主(ぬし)があり、かなり整然とした地方制度が成立していた。
▼井上光貞東大助教授は昭和26年、「国造制の成立」と題した論文で主張した。これを批判したのが、京大を出て、高校教師をしていた上田正昭さんである。上田さんは、県主制が先にあって、国造制へと展開していったと考えていた。
▼2人の間の「国県制論争」は、戦後最大級の古代史論争といわれる。数々の名勝負を繰り広げた名横綱に例えて、「古代史学界の柏鵬戦」と呼ぶ向きまであった。もっとも、古代史に関心の深かった松本清張氏は、東大と京大の学閥争いと断じていたが…。
▼京都二中の生徒のとき、先生の家で津田左右吉博士の『神代史の研究』を見つけた。発禁処分の書物を読むと、学校で習った内容とまったく違う。どちらが本当なのか、疑問が学問の出発点となった。
▼歴史学者としての関心は古代国家論にとどまらず、女性史や被差別部落問題、東アジア史にまで及んだ。スケールの大きな研究は、書斎にこもっているだけでは、生まれなかったはずだ。高校教師時代には、部落出身の生徒の差別事件に直面し、在日朝鮮人の教え子との出会いもあった。
▼13日に88歳で亡くなる前日まで、仕事で外出していた。昨年中にも、次々に著作が刊行されている。その一つ『古代の日本そして朝鮮文化』(角川学芸出版)では、「忘れえぬ先人」として、湯川秀樹、司馬遼太郎の両氏とともに、昭和58年に65歳で亡くなった井上さんを挙げている。論争相手とはプライベートでは親しく、京都に来ると祇園でもてなすのが習わしだったという。
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