先の大戦から70年もたつのに、なぜいまだに「戦後」にとらわれ続けなければならないのかと
閉じる
【産経抄】12月31日
戦後70年の今年は、やはり歴史をめぐる騒動に明け暮れする1年となった。年初から、新聞やテレビは安倍晋三首相の戦後70年談話の行方を大きなトピックとして扱った。この年末には、慰安婦問題を「最終的かつ不可逆的に解決」するための日韓合意が大ニュースとして耳目を集めた。
▼ただ、小欄にはいささか違和感もある。先の大戦から70年もたつのに、なぜいまだに「戦後」にとらわれ続けなければならないのかと。「もはや戦後ではない」。経済企画庁(現内閣府)が経済白書にこう記述してから59年、中曽根康弘首相(当時)が「戦後政治の総決算」を訴えてからも、30年が過ぎたというのにである。
▼「戦後の枠組みを守れ」。中国や韓国は歴史問題絡みで、何度も日本をこう牽制(けんせい)してきた。9月に成立した安全保障関連法の議論では、反対論者からも同様の主張がなされていた。それでは、彼らが言う「戦後の枠組み」とは一体何なのか。
▼つまるところ、戦勝国と敗戦国という立場の固定化ではないか。日本を戦争に敗れた過去に閉じ込め、身動きできないようにするのが目的だろう。もっとも、中韓両国は戦勝国を自称しているだけで、実際は日本と戦ったとはいえないが。
▼「これでもう戦後80年談話、90年談話は必要ない」。延々と繰り返されてきた謝罪外交に終止符を打つ狙いがある70年談話発表に際し、安倍首相は周囲にこう語っていた。今回の日韓合意の背景にもこれと同じ思いがある。
▼とはいえ、日韓合意は評価が分かれ、厳しい見方も少なくない。「政治家は歴史法廷の被告だ」。中曽根氏はかつてこう喝破した。今年は果たして「戦後」から脱却する第一歩となったのか。来年は、安倍政治の真価が問われる。
コメント 0