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「国の為(ため)に戦つて死んだ若人だけは、何としても之を仏徒の謂(い)ふ無縁ぼとけの列に、疎外して置くわけには行くまいと思ふ」

2015.8.16 05:03更新

【産経抄】
8月16日

 酸鼻極まるフィリピンの戦場で、野戦病院に送られた傷病兵たちの間に「軍旗の下に帰ろう」の合言葉が行き交った。日本の非勢が明らかな、先の大戦末期の話である。戦いに殉じる腹を固めた人たちにとって、ともに砲煙をくぐり抜けた軍旗は最後のよりどころであったろう。

 ▼惨禍の跡を残す軍旗の一つに、セブ島で終戦を迎えた歩兵第57連隊(佐倉)のものがある。米軍の目を逃れるため、隊員たちは細かく切り分けて国に持ち帰ったという。元第2大隊長の長嶺秀雄氏が『戦場 学んだこと、伝えたいこと』(並木書房)に記していた。

 ▼隊旗は昭和55年に復元され、今は靖国神社内の遊就館に眠っている。思えば日本軍はフィリピンでおよそ50万人の戦死者を出した。長嶺さんも砲弾や銃弾の破片を体の中に残して生還した。隊旗は異境の土となった人たちの無念と、激戦の痛みを伝える証人である。

 ▼柳田国男は『先祖の話』にこう記している。「国の為(ため)に戦つて死んだ若人だけは、何としても之を仏徒の謂(い)ふ無縁ぼとけの列に、疎外して置くわけには行くまいと思ふ」と果たして戦後世代は英霊の安らかな眠りを守れているか。思案する度、恥じ入るほかない。

 ▼「戦後70年」の節目の日に、安倍晋三首相の靖国参拝はかなわなかった。首相が14日に出した戦後談話は、「謝罪外交」に終止符を打つ誓いとも受け取れただけに、残念である。われわれが引き継ぐべきものは英霊への不断の祈りであり、平和の誓いではないのか。

 ▼犠牲になったアジアの人々には、慎んでこうべを垂れたい。しかし、平和国家としての戦後70年の歩みに胸を張ることより、中韓の顔を立てることがこの国の未来のためになるとは、とても思えないのである。


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