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被爆者の平均年齢は今年80歳を超えた。貴重な残り時間で子供の愛国心を傷つけてどうする。

2015.8.9 05:02更新

【産経抄】
8月9日

 原爆投下から間もない長崎の街に、「75年は生息不可能」の流言が伝わった。爆心地でアリの群れが見つかったのは爆撃から3週間後、ミミズが姿を現したのは1カ月後だったという。かの地で被爆した永井隆博士が『長崎の鐘』に記している。

 ▼生命の確かな強さを示す話は半面、人々の口を伝った話の危うさをも暗示している。語り手の記憶や感情、思想信条、ときには嘘という不純物も混じり合い、事実からかけ離れてゆく。いまの日本に突きつけられている「歴史」は、必ずしも史実と同義とは言えまい。

 ▼原爆の惨禍を伝える「語り部」にも、偏った思想の持ち主がいる。長崎県島原市の中学校長(59)は昨夏、生徒たちに根拠のない旧日本軍の「蛮行」を聞かせる語り部(79)を、たまりかねて制止した。資料の不確かなまま、中国や韓国の主張に沿う内容だったという。

 ▼「被爆体験でもなんでもありませんでした」。校長の悲憤を、8日付の小紙九州・山口版が伝えていた。昨今は、安全保障や原発など政治色の濃い発言で、子供を揺さぶる語り部もいる。「被爆体験だけを語ってほしい」という校長の願いは、むなしくも裏切られた。

 ▼校長は語っている。「謝り続ければアジアの人々と、日本の子供が未来志向の関係を築けるのでしょうか。フェアな外交ができるのでしょうか。私はそうは思いません」。被爆者の平均年齢は今年80歳を超えた。貴重な残り時間で子供の愛国心を傷つけてどうする。

 ▼今は亡き永井博士は、自著をこう結んでいる。「希(ねが)わくば(中略)世界最後の原子野たらしめ給(たま)え」。惨禍を記憶する人たちが語らずして、次代に痛みを引き継げようか。2つの原爆忌と終戦の日が迎える70年目の夏、記憶の傷みがまた進む。


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