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参列者はのどを潤しながら、水を求めて苦しみながら死んだ人たちの、無念に思いをはせる。

2015.8.6 05:04更新

【産経抄】
広島の命の水 8月6日

 猛暑がこれだけ続くと、水のありがたみを再認識する。70年前の今日、広島では「命の水」とも呼ぶべき存在だった。爆心地から約2・5キロ離れた浄水場の送水ポンプ室は、原爆の爆風で屋根が吹き飛び、電動ポンプもすべて停止した。非番で広島駅に出かけていた水道局職員の堀野九郎さんは、大けがをしながら、現場に駆けつけた。

 ▼ポンプに刺さったガラスなどを取り除き、応急修理を施した。同僚も復旧作業に加わって、からくも市街地の断水は免れた。職員たちの奮闘は、紙芝居となって、広島市水道局のホームページで紹介されている。

 ▼もっとも、重いやけどを負った多くの市民は、のどの渇きを訴えながら息絶えた。「水を下さい」。人々の断末魔の声に応えられず、後々まで後悔にさいなまれる生存者も少なくない。宇根利枝さんもその一人だった。「水に毒が入っている」との噂が広がり、周囲に止められたという。

 ▼宇根さんは昭和30年、ある山寺で澄んだ水が流れ落ちる滝を目の当たりにして、原爆の犠牲者に飲ませてあげたい、と思い立った。それからほぼ毎日、市内各所にある慰霊碑を巡って、清水をささげて供養する「献水」を続けてきた。

 ▼昭和49年からは、平和記念式典に先立つ早朝、平和記念公園の原爆慰霊碑に供えられるようになった。3年前に93歳で亡くなってからも、その遺志は若い世代に引き継がれている。

 ▼今年の式典も、真夏の太陽が照りつけるなか行われるはずだ。式典本部では参列者のために、専用容器によって席まで持ち運べる、冷水が用意されている。熱中症を予防するためだけではあるまい。参列者はのどを潤しながら、水を求めて苦しみながら死んだ人たちの、無念に思いをはせる。


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