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鹿舞を懸命に守り続ける人たちの何よりの願いは、再建なった神社への奉納だろう。「私が生きている間に、見られるかどうか」。

2015.3.11 05:04更新

【産経抄】
望郷の鹿舞 3月11日

 昨年7月20日、福島県会津若松市内の仮設住宅で開かれた夏祭りには、地元メディアが多数訪れていた。お目当ては、大熊町無形文化財の「熊川(くまがわ)稚児鹿舞(ちごししまい)」である。

 ▼大熊町の熊川地区は約200年前、凶作や疫病に襲われ、争いごとが絶えなかった。村を立て直すために、この地の鎮守の諏訪神社に舞を奉納したのが始まりという。地元の男児4人が、実体は鹿である獅子の頭(かしら)をかぶって舞うのが特徴だ。

 ▼大熊町は4年前のきょう、東日本大震災に伴う大津波で大きな被害を受けた。さらに町内に立地する東京電力福島第1原発の事故によって、約1万1000人の町民全員が避難を余儀なくされている。津波によって、諏訪神社の社殿は流され、太鼓などの道具も失われた。その鹿舞の4年ぶりの復活とあって、地元の人たちが涙を浮かべる姿もあった

 ▼以上の経緯は、いわき市在住の郷土史家、夏井芳徳(よしのり)さんから送られてきた『熊川稚児鹿舞が歩んだ道』で知った。道具の復元などには、補助金の交付が認められた。それでも、離れた場所に暮らす子供たちが、親に送られて月2回、練習に通うのは大変な負担だったはずだ。「地域の核となる文化を失いたくない、被災者ががんばっている姿を全国に発信したい、そんな気持ちが強いのでしょう」と夏井さんは言う。

 ▼大熊町の一部地域では除染が完了し、平成30年にも住民の居住を再開する計画がある。一方、町内に建設が決まった放射能汚染土の中間貯蔵施設に近い熊川地区では、帰還のめどがまったく立っていない。

 ▼鹿舞を懸命に守り続ける人たちの何よりの願いは、再建なった神社への奉納だろう。「私が生きている間に、見られるかどうか」。50代半ばの夏井さんの声は沈んでいた


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