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生と死は紙の裏表なのだと、「1・17」が巡る度に思う

2015.1.18 05:02更新

【産経抄】
1月18日

 地球という巨大な揺りかごの中で、ときに天災が命の明暗をより分ける。あの日あの時あの場所に、いた人といなかった人。それは秒針が一つ先に動いたか否かのわずかな差かもしれない。生と死は紙の裏表なのだと、「1・17」が巡る度に思う。

 ▼戦後半世紀の節目に起きた、未曽有の都市型災害だった。神戸市出身の詩人、安水稔和(やすみず・としかず)さんがつづっている。〈わたしたちのまちを襲った/五十年目の戦争〉。抄子もその数年前までかの港町で学生時代を過ごしている。あの日あの時、あの場所にいなかったにすぎない。

 ▼その時代に生きたか否かも、長大な時間軸の中では微差なのか歌人の竹山広は、長崎での被爆体験に20年前の震災を重ね合わせた。〈居合はせし居合はせざりしことつひに天運にして居合はせし人よ〉。6434人もの犠牲を強いた「天運」の響きに慄然(りつぜん)とする。

 ▼それゆえに重みを増す「生」もある。7カ月の長男を抱き、17日の追悼行事に参列した女性(27)の物語が同日の小紙夕刊(大阪版)にあった。震災で母を亡くした女性は男児を「結(つなぐ)」と名付けたという。母の生きた証しは、子から孫へと受け継がれていくのだろう。

 ▼今の神戸は震災後に生まれた人や市外からの転入者が増え、「震災を知らない市民」が4割を超えたという。人の記憶は風雪に弱い。強い息を吹きかけてほこりを払い、暖かい息を吹きかけて雪を溶かす労を惜しめば、風化する。それは戦争の記憶にも当てはまる。

 ▼「亡くなった人たちの記憶のため、生き残った者の記憶のために命のつながりはあるし、あらねばならん」と安水さんは言う。抄子も、記憶に息を吹きかける「口」であらんと強く思う。天の差配で「生」により分けられた者の責務として


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