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公家かぶれではない?今川義元が桶狭間合戦で輿(こし)に乗った本当の理由


公家かぶれではない?今川義元が桶狭間合戦で輿(こし)に乗った本当の理由


変わる今川義元・氏真のイメージ(後編)


2023.2.20(月)西股 総生





桶狭間古戦場公園の今川義元と織田信長の銅像 写真/フォトライブラリー





(城郭・戦国史研究家:西股 総生)


変わる今川義元・氏真のイメージ(前編)はこちら


義元はなぜ織田と戦うことになったのか?


 今川義元は、永禄3年(1560)に尾張の桶狭間で織田信長と戦い、敗死してしまいます。では、義元はなぜ織田と戦うことになったのでしょう? 



 この戦いについては、これまでも多くの歴史家や作家たちがさまざまに論じてきました。中には、うがった戦略論を展開している方もありますが、本当はそれほど込み入った話ではありません。


 前回説明したように、戦国時代の前半には、今川は甲斐の武田、相模の北条と三つ巴の争いを繰りひろげていました。けれども、このままではお互いに不利だということに、三者とも気づいてゆきます。


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