これでいいのか?戦後日本「より良き日本を取り戻そう」

なぜ大内義隆の評価は死後に一変したのか?酷評の理由と「もしも」の可能性


なぜ大内義隆の評価は死後に一変したのか?酷評の理由と「もしも」の可能性


大寧寺の変と大内義隆(後編)


2023.3.7(火)乃至 政彦





大寧寺 釈迦三尊及び十六羅漢像 写真/フォトライブラリー

(歴史家:乃至政彦)


前編の続き)



二階崩れの変、新宮党粛正の転換期


 大寧寺の変は、時代の転換期に起きた事件である。


 天文19年(1550)頃より、西国で変革の波が押し寄せていた。ひとつひとつはマクロで見ると小さな事件だが、直面した人々にとっては生死を分つ大事件であり、世界の全ても同然であっただろう。


 同年2月10日、豊後の大友義鑑(よしあき)が長男・義鎮(よししげ/のちの宗麟)の廃嫡を考えていたところ、大友館の二階で謀反に遭って三男・塩市丸と共に殺害された。いわゆる「二階崩れの変」である。


>>続きを読む