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上杉謙信と椎名康胤の因縁の闘争、康胤はいつ松倉城を奪われたか?


上杉謙信と椎名康胤の因縁の闘争、康胤はいつ松倉城を奪われたか?


謙信再度の越中侵攻、松倉城陥落の伝説を同時代史料から探る


2022.12.13(火)乃至 政彦






松倉城跡 写真/フォトライブラリー


(歴史家:乃至政彦)


※この記事は、シンクロナスで連載中の「謙信と信長」の記事を一部抜粋して再編したものです。より詳しい内容は同連載をご覧ください。


越後の上杉謙信と越中東部の椎名康胤


 越中東部(新川郡)の松倉城主・椎名康胤は、永禄5年(1562)頃、越後の上杉謙信の身内である長尾小四郎(景直)を養子に迎え入れた。これにより康胤は、ライバルである越中西部の増山城主(もと富山城主)・神保長職(じんぼながもと)を謙信が押さえ込んでくれることを期待した。



 謙信と康胤win-winの関係成立である。


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