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後世の伝説へ繋がる六国史に書かれた空海の最期


後世の伝説へ繋がる六国史に書かれた空海の最期


平安貴族列伝(20)


2020.10.26(月)倉本 一宏





高野山奥之院・弘法大師御廟(和歌山県) 写真/倉本 一宏

(歴史学者・倉本一宏)


『続日本後紀』に書かれた空海の生涯


 ここから六国史の四つめ、『続日本後紀』に入る。『続日本後紀』は、仁明(にんみょう)天皇の天長十年(八三三)から嘉祥三年(八五〇)までの十八年間を扱う。文徳(もんとく)天皇の勅命により、斉衡二年(八五五)に編纂が開始され、貞観十一年(八六九)に完成した。全二十巻。天皇一代だけの正史は『続日本後紀』がはじめてであり、次の『日本文徳天皇実録』に受け継がれる。



 最初は超有名人からご登場願おう。『続日本後紀』巻四の承和二年(八三五)三月丙寅条(二十一日)には、


大僧都伝燈大法師位空海(くうかい)が、紀伊国の禅居(高野山金剛峯寺[こうやさんこんごうぶじ])で死去した。


 とあって、空海が示寂したことが見える。官人ではないので、公的な卒伝が載ることはなかったが、さすがは空海、四日後の庚午条(二十五日)に、次のような淳和(じゅんな)太上天皇の弔書(ちょうしょ)が載せられている。

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