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手厚い“更生”施設、松平定信の「人足寄場」







手厚い“更生”施設、松平定信の「人足寄場」


無宿や罪人の社会復帰を助けた“施設”のさまざまな仕掛け


2018.3.12(月) 有井 太郎






斎藤長秋編『江戸名所図会』より佃島其二。石川島人足寄場は、図中の右側中段やや上にある。(写真:国立国会図書館


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 江戸幕府の8代将軍、徳川吉宗が成立させた「公事方御定書」。この法典では、それまで希薄だった犯罪者の「更生」という概念が取り入れられた。1742(寛保2)年のことだ。


前回の記事:「『百敲(ひゃくたたき)』の刑、吉宗は計算ずくだった


 それから50年近く経った1790(寛政2)年、ある政策により「更生」の概念をより進化させた人がいた。老中の松平定信である。


「彼の時代に作られた『人足寄場』(にんそくよせば)は、戸籍から外された“無宿”(むしゅく)を社会復帰させるための施設でした。そしてこれが、日本の刑務所の源流となっていることはあまり知られていません」


 そう説明するのは、法律の歴史を研究する國學院大學法学部の高塩博(たかしお・ひろし)教授。人足寄場とは一体どんな施設であり、どのように更生を図ったのか。そして「今の刑務所の源流」が意味するところとは。高塩氏に話を聞いた。


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