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薩英戦争の始まり、生麦事件の重要性とは?イギリスの要求と薩摩藩の思惑


薩英戦争の始まり、生麦事件の重要性とは?イギリスの要求と薩摩藩の思惑


 

幕末維新史探訪2023(25)薩英戦争160年―日本の近代化に与えた影響とは①


2023.9.20(水)町田 明広




横浜外国人墓地、生麦事件犠牲者の墓 写真/フォトライブラリー




(町田 明広:歴史学者)


薩英戦争の原因・生麦事件


 今から160年前、文久3年(1863)7月2日、鹿児島湾で薩英戦争が勃発した。そもそも、なぜ薩摩藩とイギリスは戦争に至ったのだろうか。その導火線となったのは、前年の文久2年(1862)8月21日に起こった生麦事件であった。



 生麦事件とは、江戸から京都に向かう薩摩藩主の実父であり、かつ最高権力者である島津久光の行列に騎馬で遭遇した英国商人リチャードソンを奈良原喜左衛門らが無礼打ちした事件である。リチャードソンは肩から腹へ斬り下げられ、臓腑が出るほどの深手を負い、200メートルほど戻り落馬した。そこに、追いかけてきた海江田信義によって止めを刺された。


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